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【関西の議論】「忍び」の真髄は諜報にあり “最後の忍者”甲賀流伴党21代目宗家に課せられた使命とは

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【関西の議論】
「忍び」の真髄は諜報にあり “最後の忍者”甲賀流伴党21代目宗家に課せられた使命とは

 高専に進むと、武術部を作って友人たちと堂々と忍術の道を突き進んだ。18歳のときには、高齢になった先代から甲賀流伴党を継ぎ、21代目宗家に。系図や由緒書き、忍術の秘伝書や武具など一切を引き継いだ。大手メーカーに勤務の傍ら鍛錬を続けたという。

 現在は退職し、三重大学社会連携研究センター特任教授、伊賀流忍者博物館名誉館長として忍者研究に携わる。受け継いだ書物の解析は、三重大学で進められている。

諜報・奇襲の忍術、江戸時代が転換期

 忍者が最も活躍したのは、南北朝時代から戦国時代。京都から山を隔てた甲賀(滋賀県甲賀市)と伊賀(三重県伊賀市)が有名だ。農業を営みながら忍術を習得し、戦国大名らの雇い兵となっていたという。敵地で諜報活動を行い、戦時には放火などの奇襲攻撃を行うこともあった。

 なぜ、忍者はこうした仕事を請け負ったのか。伊賀流忍者博物館の学芸員、幸田知春さん(33)は「食べていくためでした」という。幸田さんによると、当時の日本は疫病や地震が多く、凶作が頻繁に起こった。忍びの仕事を請け負ったのは報奨を獲得し、家族を養うためだったと考えられている。

 忍者は変装術や侵入術、火術などを駆使し、人から情報を引き出すために人間の感情や欲望も熟知していた。「武術のイメージが強いですが、人とのコミュニケーション能力も重要。忍術はいわば総合生存技術だった」と幸田さんはいう。

 だが、江戸時代に入ると戦乱が減り、活躍の場は限られていく。各地の大名に雇われ、参勤交代の護衛や探索などに働いたが、この時点で、すでに忍術は廃れ始めていたようだ。

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