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【日本史の中の危機管理】濱口和久(5)地図は今も国家機密 あの伊能忠敬は地球一周分を歩いた…〝外圧〟が生んだ初の実測地図

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【日本史の中の危機管理】
濱口和久(5)地図は今も国家機密 あの伊能忠敬は地球一周分を歩いた…〝外圧〟が生んだ初の実測地図

伊能忠敬が作製した日本地図。その精密さは世界的水準にあった(文化庁提供)

16年かけて4・4万キロを踏破

 江戸時代後期、北方からの度重なる外国船来航と、ロシアの接近に警戒を強めた徳川幕府は、日本沿岸防備のための具体的な対策を講じる必要に迫られる。この時期に日本各地の沿岸部の測量に従事したのは、伊能忠敬(いのう・ただたか)だった。

 寛政12(1800)年、幕府の許可を受けた忠敬は数名の部下を連れ、16年間に及ぶ全国測量の事業を開始した。忠敬は最初の測量を、蝦夷地(現在の北海道)およびその往復の北関東・東北地方において行う。その後、日本全国の測量事業を文化13(1816)年まで続ける。この結果をもとに、「大日本沿海輿地全図(だいにほんえんかいよちぜんず)」(以下「伊能図」)の作製に取り掛かった。しかし、忠敬は完成をみることなく、文政元(1818)年に73歳で没する。伊能図が完成するのは、それから3年後の文政4(1821)年であった。

 蝦夷地から九州までを表したこの地図は、縮尺の異なる「大図」「中図」「小図」の3種類から構成されている。「中図」には経線・緯線が入り、「本初子午線」は京都の改暦所に引かれていた。忠敬はこのときの測量により、緯度1度がおよそ111キロに相当し、また、それをもとに地球全体の外周はおよそ4万キロであると推測した。この値は、現在計測されている数値と0・1%程度の誤差しかなく、いかに忠敬の測量が正確だったかが分かる。

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