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【関西歴史事件簿】六角獄舎の集団処刑(下) 首が落ち、体が倒れる音が牢内に響き…火災のドサクサで「斬首」された未決囚33人、政治犯であふれた幕末獄舎の悲壮

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【関西歴史事件簿】
六角獄舎の集団処刑(下) 首が落ち、体が倒れる音が牢内に響き…火災のドサクサで「斬首」された未決囚33人、政治犯であふれた幕末獄舎の悲壮

武信稲荷神社から六角獄舎の方面を見る=京都市中京区

 京都御所・蛤御門(はまぐりごもん)の変で戦火が市中へ広がり、六角獄舎近くまで迫ったことから、京都町奉行の滝川具挙(ともあき)は収監中の尊王攘夷派浪士の中でも危険分子とみなした33人の斬首を命じた。その中には、「生野の変」の首謀者、平野国臣や「池田屋事件」で逮捕された古高俊太郎もいた。辞世の句に続いて首を切っては、また一人…。刑は3時間にも及んだ。平野の絶命の声を聞いた収監中の村井正礼(まさのり)もその光景に体が凍りつき、ひと言も声が出なかったという。

首の落ちる音

 元治元(1864)年7月20日、火の手が堀川、二条城へ迫ってきた。

 堀川から獄舎までは西約400メートル、二条城からは南約600メートル。火の勢いもすさまじく、煙も獄内に立ちこめてきた。到底、獄舎も火の手から逃れられないと判断したのだろう。

 ここで獄舎の役人は「火が堀川まで迫った場合は重罪人は殺せ」という滝川の命に従い、まずは「生野の変」に関わった平野ら5人の斬首を決行する。さらに天誅(てんちゅう)組や池田屋事件の関係者らが続いた。

 当時の斬首というと、前屈みに正座をさせた囚人を数人が押さえ込み、囚人の傍らの首切り役が刀を振り落とす方法が一般的だったようだが、このときの様子を村井が手記につづっている。

 御所・蔵人所に勤めながら尊攘派の志士とつながりを持った村井は文久3(1863)年、逮捕されて以後はこの獄舎でとらわれの身となっていた。

 当日、村井周辺にも煙が立ちこめて役人らの動きが慌ただしくなり、生野の変と天誅組の関係者が牢から出されていった。

 「何事か」とさらに様子をうかがっていると、刑場がものものしい雰囲気に包まれ、平野の辞世の歌をよむ声が聞こえた直後、「えいっ」という声で首が切られると同時に、ドタンと体の崩れ落ちる音が場内に響き渡ったという。

 そして、村井は「予キョ然タリ」と締めくくっている。とんでもない光景に声が出なかったのだろう。そんな村井も3年後の慶応3(1867)年12月、ここで処刑される。

3つのドサクサ

 滝川にとって、ここからとんでもない誤算が発生する。火災のドサクサに紛れて未決囚を含む30人以上を処刑したが、火の勢いはこのあと堀川でピタリと止まり、牢に被害はなかったのだ。

 解き放てば、再び幕府に牙をむく過激浪士かもしれないので、切羽詰まった状況下ではあったろう。ところが焼け残ったため、処刑の根拠は大きく揺らぐことになる。

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