産経WEST

【インパール作戦70年(1)】遺体の山、絶望の敗走「地獄だった」…最も悲惨な戦場「インパール」、生還者が証言する真実

産経WEST 産経WEST

記事詳細

更新

【インパール作戦70年(1)】
遺体の山、絶望の敗走「地獄だった」…最も悲惨な戦場「インパール」、生還者が証言する真実

 参道沿いに樹齢千年以上の杉木立が続き、蝉時雨(せみしぐれ)が降り注いでいた。和歌山・高野山の奥の院。7月20日朝、ビルマ(現ミャンマー)のパゴダ(仏塔)を模した「ビルマ方面戦没英霊納骨塔」の前で、竹中直樹(95)=京都市北区=は約80人の参列者とともに、静かに手を合わせた。

 塔には、第二次大戦中にビルマで戦没した日本将兵の遺骨が分骨されている。高野山で営まれる慰霊祭は今回で49回目。毎年参列している竹中は、強い日差しが照り付ける参道を、つえをつきながら一心に歩んだ。

 「みんなあそこで死んでしもうた」。ちょうど70年前、陸軍第15師団(通称・祭(まつり)兵団)歩兵60連隊の兵士だった竹中は、ビルマの山地を歩いていた。「(中国大陸では)負けること知らんかったから喜んで行ったら、とんでもない所やった。地獄やった」。竹中は、大戦で最も無謀といわれたインパール作戦からの数少ない生還者の一人だ。

□   □

 昭和19(1944)年3月15日、竹中らはインド東部の都市、インパール攻略のため、チンドウィン川を渡った。その先に、2千メートル級のアラカン山系がそびえていた。

 連合軍の補給路遮断が目的だったビルマ戦線。戦局打開を狙ったインパール作戦では英領インドへの進攻を図ったが、当初から弾薬や食料の補給が困難だと反対する声が多かった。1日に必要な糧の10分の1程度の補給能力しかなく、道なき道が続く山岳地帯で地形的にも補給は難しかった。

兵站を軽んじた愚「現地調達」…兵が就寝中に餓死、英軍も逃亡防止で鎖を…

「産経WEST」のランキング