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【河村直哉の国論】「華夷世界観」隠さぬ傲慢中国、尾を振る韓国の事大主義…日清戦争前夜と酷似する日中韓関係、心においてアジア東方の悪友を謝絶する

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【河村直哉の国論】
「華夷世界観」隠さぬ傲慢中国、尾を振る韓国の事大主義…日清戦争前夜と酷似する日中韓関係、心においてアジア東方の悪友を謝絶する

哀れむべき朝鮮の事大主義

 歴史に詳しい人にはいわずもがなだが、中国には中国こそが世界の中心であり周辺は野蛮な夷族(いぞく)であるという、華夷(かい)秩序の世界観がある。日本は古代において、「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す」との国書を中国に送り対等外交の姿勢を示した。華夷秩序の外にあることをはっきり表したといってよい。

 これに対し朝鮮は、中国に貢ぎ物をささげる朝貢国として存続してきた。大国に事(つか)える事大主義の伝統が抜きがたくある。日本が近代化に懸命に汗を流しているころも、官僚らは惰眠をむさぼり、経済も軍事力も衰亡していた。その朝鮮を国家として独立させ、西洋の進出に備えようというのが日本の姿勢だった。

 「脱亜論」に先立つ明治15(1882)年3月11日、諭吉はやはり「時事新報」の社説「朝鮮の交際を論ず」でこう書いている。「かの国勢果して未開ならば、これを誘うてこれを導くべし。かの人民果して頑陋(がんろう)ならば、これにさとしてこれに説くべし」。明治人は優しすぎた、といわねばなるまい。

 諭吉は朝鮮の開化党を支援し、朝鮮に清国との属国関係を断ち切らせて独立させようとした。しかし朝鮮にはその属国関係を重んじる守旧派も根強くあった。なんと中国に事える事大党というものがあったのだ。

 1884(明治17)年、開化党が起こしたクーデター(甲申事変)は、守旧派が清に援軍を求めて結局、失敗に終わった。諭吉も腹に据えかねたのだろう、「脱亜論」はそういう状況のなかで書かれた。朝鮮のふらふらした態度は続き、1894(明治27)年、甲午農民戦争が発生。朝鮮は清に鎮圧を要請し、日清戦争のきっかけとなる。

悪「友」とみなす必要もなし

 今後も中韓は、歴史問題をはじめ日本にさまざまな無礼を働いてくるだろう。再び「脱亜論」にいわく。

 「(支那と朝鮮は)一より十に至るまで外見の虚飾のみを事として、その実際においては真理原則の知見なきのみか、道徳さえ地を払うて残酷不廉恥を極め、なお傲然(ごうぜん)として自省の念なき者のごとし

「支那朝鮮に接するの方法は、特別の会釈に及ばず…」

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