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【大阪すてんしょ物語(7)】踏切の少女を救い、自らははねられ最期まで「危急」と叫び続けた「駅夫・清水太右衛門」の魂は語り継がれる…大阪駅にひっそり殉職碑、JR職員は手を合わせる

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【大阪すてんしょ物語(7)】
踏切の少女を救い、自らははねられ最期まで「危急」と叫び続けた「駅夫・清水太右衛門」の魂は語り継がれる…大阪駅にひっそり殉職碑、JR職員は手を合わせる

 毎年5月になると、JR大阪駅の駅員300人は、「鉄道員としての職責」の意味を改めて胸に刻む。

 大阪ステーションシティ(OSC)のノースゲートビルディングと立体駐車場を結ぶ通路。ターミナルの喧噪(けんそう)から離れた場所で、一人の駅員の殉職碑がひっそりと建っている。碑文にはこうある。

 《幼女の危急を叫びつつ遂(つい)に職に殉じた》

 2代目の駅舎が誕生して6年がたった明治40(1907)年5月31日の午後6時ごろ。大阪駅のすぐそばにあった西第一踏切で、一人の少女が遮断機をくぐって線路内に立ち入った。

 踏切番だった54歳の駅員、清水太右衛門はとっさに線路内へ駆け出し、迫り来る列車からすんでのところで少女を救い出した。しかし、自身は列車と接触して重傷を負い、翌日息を引き取ったと伝わる。

 31年に「駅夫」として採用された清水太右衛門はこのとき、深手を負いながらも最期まで大声で「危急」を周囲に知らせていたという。その姿勢に心を動かされた人々によって、殉職碑は建立された。

一夜で上下が入れ替わった線路

 悲劇を生んだ西第一踏切は昭和9(1934)年5月に廃止された。大阪駅の高架化とともに、東海道線などが高架線に切り替えられたためだ。

 ただ、東海道線の高架化は、それまで地上の東海道線を高架でまたいでいた阪神急行電鉄(現阪急電鉄)の線路を地上に降ろし、線路の“上下”を入れ替えなければならなかった。

 新幹線や航空機、高速バスもなかった時代だ。工事のために日本の大動脈、東海道線を止めることはできない。許された時間は夜半から未明までのわずか6時間。当時としては異例の1260人もの人員が投入され、一夜にして“世紀の大工事”は成し遂げられた。

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