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【ベテラン記者のデイリーコラム・渡部裕明の奇人礼讃】武田信虎(上)信玄の父、「追放」の人生を楽しむ

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【ベテラン記者のデイリーコラム・渡部裕明の奇人礼讃】
武田信虎(上)信玄の父、「追放」の人生を楽しむ

 戦国最強といわれた騎馬軍団を率い、上杉謙信と「川中島の戦い」を繰り広げた名将、武田信玄。しかし、根がひねくれ性の筆者はその父親・信虎(のぶとら、1494-1574年)の方にひかれてしまう。地元での評判は決してよくないが、くせ者揃いの甲斐国(山梨県)を統一した手腕は非凡だし、息子によって突然、国守の座を追われた悲劇性も胸を打つ。失意にあってへこたれず、信玄より長生きして戦国の社交界を楽しんだ。今回は、そんな「前向き男」の足跡を追ってみたい。

戦国大名として自立

 苦労して積み上げた自分の功績を、あっけなく横取りされてしまう。だれにも大なり小なり、経験があるのではないか。人生の最も晴れやかな日に、そのような目に遭ったのが主人公の武田信虎である。

 甲斐武田氏は、新羅(しんら)三郎義光を始祖とする名門だ。しかし、16世紀前半には一族に内紛が絶えなかったほか、東部の小山田氏をはじめ大井氏、穴山氏ら有力領主が反抗的な態度を示していた。永正4(1507)年、父信縄(のぶつな)の病死によって家督を継いだ信虎は、凄惨(せいさん)な骨肉の争いを制し、有力領主らを従えていった。

 石和(笛吹市)にあった館を躑躅(つつじ)が崎(甲府市)に移し、本格的な城下町を建設したのも彼だった。こうした政策を次々と実行し、戦国大名へと成長することができたのである。

 「次に向かうべきは、信濃国(長野県)か…」

 甲斐を固めた信虎は、さらなるターゲットを西隣の信濃と定めていた。より強力な軍団を作りあげるには、新たな領地が必要だ。相模国(神奈川県)を本拠とする北条氏綱(早雲の息子)、駿河国(静岡県)の今川義元とは、婚姻を通じた同盟関係を結んでいる。その点、信濃は強力な大名がおらず、格好の目標だったのだ。

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