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【古代天皇誌】斉明天皇(3)「狂心」と非難された無謀な運河開削

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【古代天皇誌】
斉明天皇(3)「狂心」と非難された無謀な運河開削

 また、「石でもって山丘をつくりつつも、おのずから崩れてしまうだろう」と言う者もいました。

 『日本書紀』にいう狂心渠のルートは、どの当たりであったのでしょうか。かつて飛鳥池の発掘調査で、かなり太い水路が見つかり、これが狂心渠と想定されていますが、天理付近までどこを掘ったのか、現状ではよく分かっていません。

 一説として、下ツ道(国道24号線の西を南北に走る古代の道)に沿って流れる川に比定していますが、決め手はありません。

 このような斉明天皇の事業についての非難は、政略と深い関連がありました。斉明天皇4(658)年、紀伊国の温泉に行幸した時に、留守官(とどまりまもるつかさ)(天皇が行幸して宮が留守になる時に、宮にいて守ることを担当する官人)の蘇我赤兄(そがのあかえ)(馬子の孫であるが、父は蘇我倉麻呂で、蘇我氏の本宗家ではない)が、有間皇子(ありまのみこ)(孝徳天皇の皇子)に斉明天皇には3つの失政があると語ります。

 1つには大きな倉を建てて人民の財物を集積したこと、2つには長い水路をつくって公の食糧を浪費したこと、3つには舟に石をのせて運び、丘のように積み上げたことであると。

 だが、有間皇子が赤兄によって陥れられようとしていたことに気づきませんでした。後日、皇位をねらっていた有間皇子は、赤兄の家を訪ねて天皇排斥の謀議をしたつもりでしたが、赤兄は有間皇子の謀反とみなし、皇子の家を取り囲み、天皇のもとへ報告させました。そして、有間皇子は藤白坂(ふじしろさか)(和歌山県海南市付近)で殺されました。

(奈良県立図書情報館長・帝塚山大特別客員教授 千田稔)

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