産経WEST

【関西の議論】96年前、日本初「第九」演奏会の〝意外な史実〟…ドイツ兵捕虜と日本人の友好で生まれた「収容所第九コンサート」

産経WEST 産経WEST

記事詳細

更新

【関西の議論】
96年前、日本初「第九」演奏会の〝意外な史実〟…ドイツ兵捕虜と日本人の友好で生まれた「収容所第九コンサート」

 年末の風物詩としておなじみのベートーベンの交響曲第9番(第九)は96年前、第1次世界大戦で敗れ捕虜となったドイツ兵らによって日本で初めて演奏された。その舞台となったのが、徳島県鳴門市の「板東俘虜(ばんどうふりょ)収容所」。ここでのドイツ兵捕虜の暮らしぶりや日本人との友好的な交流が、新たに発見された資料などで次第に明らかになっている。昨年には、「第九」演奏に参加した捕虜の写真や解放後に捕虜が書いたメモも見つかり、当時を知る貴重な資料として研究者も注目している。(高橋義春)

 舞台は徳島・板東俘虜収容所

 板東俘虜収容所は大正6年、徳島県板東町(現・鳴門市大麻町)の旧陸軍演習地の約6万3千平方メートルに開設された。日本は第1次世界大戦で中国などに進出していたドイツの拠点を攻略、大量のドイツ兵を戦争捕虜として国内各地に収容した。板東俘虜収容所もその一つで、約千人を収容。捕虜は解放されるまで約3年間を過ごしたが、人道的な運営が行われ、朝晩の点呼以外は自由な生活が許された。

 収容所の記録や資料を所蔵・展示する同市ドイツ館によると、そんな自由な雰囲気の中で捕虜たちによる楽団が結成され、大正7年6月1日、アジアで初演となる「第九」が収容所内で披露された。海軍砲兵隊のヘルマン・ハンゼン楽隊長の指揮で全楽章を40人が奏で、4人が独唱し、80人が合唱。このときは捕虜に向けての演奏だったが、収容所は開放的だったため、演奏は周辺住民の耳にも届いた。

夜遊び、朝に収容所に戻る楽しさ…脱獄ならぬ「脱柵」の記録

「産経WEST」のランキング