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【関西歴史事件簿】京の地獄図・平治の乱(下)人質の天皇を女装姿で脱出させた策士・清盛 陽動作戦で御所を奪還 源氏に逆転勝利

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【関西歴史事件簿】
京の地獄図・平治の乱(下)人質の天皇を女装姿で脱出させた策士・清盛 陽動作戦で御所を奪還 源氏に逆転勝利

 「ここは一気に」と清盛の長男・重盛らが3千人を率いて六波羅を出発。一方の内裏を固める信頼・義朝軍は約800人と力の差は歴然だった。

 大内裏の西端の一角に建つ待賢門(たいけんもん)を守る信頼は次々に攻めてくる重盛らに恐れて逃走。そこから中へとなだれ込む。これを防ぐ義朝らの中には源氏最強の武将、源義平もいた。

 少人数で善戦する義平と重盛は待賢門前で一騎打ちを繰り広げた後、重盛は逃げ、義平は追いかける。紫宸殿前の右近の橘と左近の桜の間を7度追い回したという。

 重盛の苦戦の様子に清盛勢は一度態勢を立て直そうと六波羅まで退却する。これに勢いづく義朝勢はさらに追い続ける。

 だが、ここまでの一連の行動は内裏を戦場にしたくない清盛のおびき出し作戦だった。平氏追撃で手薄になった内裏を、清盛勢の別働隊がなんの苦もなく奪回してしまったのだ。

 六条河原で清盛の策に気づいた義朝。源頼政ら身内の裏切りでさらに苦境に立つと決死の覚悟で六波羅を目指して鴨川を渡ろうとするも、対岸に展開する清盛勢の攻撃にさらされ崩壊。ここに大規模な戦いは終結する。

×  ×  ×

 信頼は斬首。義朝は関東へと向かったが、12月31日、尾張の野間(愛知県知多郡)で、親源氏だった地元の武将宅で入浴中、襲撃を受けて斬殺される。

 その際、「我れに木太刀の一本なりともあれば」と叫んだとされ、今も近くにある義朝の墓には多くの木刀が供えられている。

(園田和洋)

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