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【ママさんなでしこ第1号・宮本ともみ(5)】
「子連れ遠征」直訴の理由 アテネ五輪8針の大けが、愛息への思い
そのとき(08年の)北京オリンピックまでは見据えていませんでした。でも、復帰はしたい気持ちはありました。
〈04年のアテネ五輪ナイジェリア戦で宮本さんは相手のスパイクを左太ももに受け、8針を縫うけがをした。試合は0-1で負けた。当時、日本サッカー協会会長だった川淵三郎さん(76)は「宮本が欠場したのが痛かった。彼女がいないと攻守とも痛い」とコメントしていた〉
(出産は)夫もチームメートもすごく喜んでくれて。でも一方では一緒にサッカーができないのを残念がって、泣いてくれるチームメートもいたので、「絶対早く復帰するよ」と決心しました。
1999年の世界選手権のときにアメリカ代表の選手で2人ぐらい、子供がいる人がいたんです。このときに初めて目の当たりにして、自分もそういう風になれたらいいなっというのはありました。
出産後、日本代表の合宿に呼ばれたのは06年だったと思います。オーストラリアとの親善試合。海外の遠征に子供は連れて行けませんでした。