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【関西歴史事件簿】坂本龍馬・いろは丸事件(中) 崩れる龍馬のイメージ…国際法タテに1万両要求した〝銭ゲバ〟ぶり、紀州藩の無知につけこむ

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【関西歴史事件簿】
坂本龍馬・いろは丸事件(中) 崩れる龍馬のイメージ…国際法タテに1万両要求した〝銭ゲバ〟ぶり、紀州藩の無知につけこむ

▼(上)船借りて武器商人の海援隊…から続く

 瀬戸内海の六島沖で紀州藩の軍艦「明光丸」と衝突して、「いろは丸」と大量の積み荷を失った坂本龍馬は、紀州藩から多額の損害賠償金をせしめることを考え、すぐに交渉することを提案する。それにあたり持ち出してきたのが、当時の日本ではあまり知られていなかった「万国公法」だった。実は事故で本当はミスを犯していた龍馬の“事故隠し”のための大ばくちだった。

交渉の申し入れ

 慶応3(1867)年4月24日、明光丸の甲板上で海中に消えていくいろは丸を静かに見送った龍馬はすぐに、明光丸船長の高柳楠之助に今後のことについて申し入れる。

 「今回のような海難事故は例のないこと。万国公法にのっとり、この後の交渉を進めたい」と事故の交渉事は現場近くで行うのが国際ルールと、備後(広島県福山市)の鞆(とも)を指定する。

 だが、藩命を受けて長崎へ航行中だった明光丸は鞆へ立ち寄ることは避けたかったのだが、国際ルールをふりかざしながら一戦も辞さない覚悟で食い下がる龍馬に根負けしたのだ。

 龍馬には「紀州藩は万国公法のことを詳しくは知らないだろう」という目算があった。万国公法はアメリカの法学者が著した国際法の教科書で、日本国内に入ってきたのはつい最近のこと。

 龍馬は神戸海軍時代の師匠だった勝海舟らを通じて学び、日本語への翻訳を計画するほどに内容を熟知していた。このため、万国公法をたてに取り紀州藩を交渉に引っ張り出せば、自分の土俵で相撲をとれるということになる。

衝突、原因は龍馬なのに…「しめしめ帳消し」と計算

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