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【田所龍一の球界よもやま話】「掛布監督」阻む“金銭トラブル”の実像はこうだ…誤解でイメージ悪化した「阪神の宝」がタテジマを着る日

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【田所龍一の球界よもやま話】
「掛布監督」阻む“金銭トラブル”の実像はこうだ…誤解でイメージ悪化した「阪神の宝」がタテジマを着る日

 1985年、阪神が初めて「日本一」に輝いた年の5月のこと。掛布氏が長年アドバイザー契約を結んでいたスポーツメーカーの「美津和タイガー」が突然倒産した。それまで、自分を支えてくれたスタッフの多くが路頭に迷うことになる。そのとき彼はこう申し出た。

 「こんなときだから今度はボクが支える番です。次の就職先が決まるまで、ボクが皆さんのお給料を支払いますよ」。そういって、自宅近くに運動具店「スポーツハウス・フィールド31」を開店させ、そこの従業員としてスタッフを雇い入れたのである。

 とはいえ、掛布氏の当時の年俸だけでは彼らの給料のすべてを賄うには苦しい。そこで、知人に頼み、少しでも補えるようにと広島風のお好み焼き店「ホットコーナー」をオープンさせた。

 そんな掛布氏の支えもあり、次々とスタッフの再就職先が決まっていく。1人減り、2人減り…そして、全員の身の振り方が定まったときに掛布氏は店を閉じた。

 これがその後、週刊誌で「実業家・掛布の失敗」とおもしろおかしく報じられ、彼の間違ったイメージが形作られていったのである。

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