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【ベテラン記者のデイリーコラム・鹿間孝一のなにわ逍遙】東京タワーも…新聞界の風雲児だった前田久吉

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【ベテラン記者のデイリーコラム・鹿間孝一のなにわ逍遙】
東京タワーも…新聞界の風雲児だった前田久吉

 前回に続いて、大阪の新聞史を書く。

 前田久吉(1893~1986年)は立志伝中の人物である。

 母方の実家である天下茶屋の新聞舗を手伝って少年のころから新聞配達をし、やがて経営をまかされて数年のうちに取り扱い部数を10倍に伸ばした。だが、それだけでは満足できず、自分で理想とする新聞を発行しようと志を立てた。

 大正11(1922)年7月9日の「南大阪新聞」創刊によって「新聞少年の夢」が実現したことは前回触れた。

 では、前田はどんな新聞を発行しようとしたのか。「世のため人のためになる新聞」というのだが、いささか当たり前すぎてわかりにくい。

 当初は週刊でスタートした「南大阪新聞」はほどなく日刊になり、1年後には「夕刊大阪新聞」と改題する。当時の広告で自らをこう表現している。

 大阪人を「贅六(ぜえろく)」と呼ぶ。一体「贅六」の名称には、どんな意味が含まれているのか。

 ねばり強くて、底力があって、外柔内剛だと言うのなら、それを甘受して、そしてもっと善い、或る者を取り入れよう。

 鈍感で、お座なりで、利己一点張りといったような意味なら、大阪人の冠称から、これをどこかに返上しよう。

 此の主張で、大阪の活社会と大阪人の家庭を目標とした本紙は、大阪及び大阪人に親しみのある新聞として歓迎された。

 大阪に生きる人も、生きた大阪を知らんとする地方人にも、一日も無くてはならぬ新聞となっている。

 以上は平成9(1997)年に編纂(へんさん)された「大阪新聞75周年記念誌」から引いた。

 明治以降の新聞は概ね、政党に根を持つか、経済界の支援を受けての代弁者だったが、政治的な主義主張ではなく、大阪のイメージを変え、全国に大阪をアピールしようというのは珍しい。

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