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災害時の「言葉の壁」 ラジオが多言語放送で果たす役割

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大規模な災害は、それまでは見えなかった社会問題をあぶり出す。日本人と増え続ける在日外国人との間の「言葉の壁」もその一つだ。災害時、十分な情報収集ができない外国人は社会的弱者となってしまう。阪神大震災の混乱の中、その壁を取り払うのに力を発揮したのは、ラジオだった。 (粂博之、藤原由梨)

孤立し、気後れを感じる外国人…

 日本人、在日韓国・朝鮮人、ベトナム人…。震災発生直後の神戸市長田区の公園にできたテント村は混乱していた。避難してきた人は一時は約300人に達し、うち約200人はベトナム人。同区は在日韓国・朝鮮人が経営するケミカルシューズ工場が集積し、ベトナム人が多く雇用されていたからだ。

阪神大震災をきっかけに設立されたFMわぃわぃ。行政機関から配布される日本語のチラシなどをその場で翻訳しながら読み上げた=平成7年、神戸市長田区
阪神大震災をきっかけに設立されたFMわぃわぃ。行政機関から配布される日本語のチラシなどをその場で翻訳しながら読み上げた=平成7年、神戸市長田区
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 東京から災害支援ボランティアとして駆け付けた日比野純一さん(58)はテント村には「言葉の壁、偏見、互いの文化に対する無理解があった」と振り返る。同じ地域に暮らしていても国籍が違えば交流は少なく、「他の避難所でも外国人は、孤立し、気後れを感じ、十分な情報を得られないでいた」。

 救援物資を届けるだけでなく、外国人の安否や支援に関する情報をいかにスムーズに伝えるかも重要な課題になった。そんなとき、公園のすぐ近くで「FMヨボセヨ」を開局し、母国語での放送を始めたばかりの在日韓国・朝鮮人のスタッフたちが「ベトナム語のラジオもつくればよい」と手を貸してくれた。

 日比野さんらは、前年に大阪市生野区で開局した韓国・朝鮮語放送の「FMサラン」の協力も得て機材をそろえ、ベトナム、フィリピン、スペイン語などの多言語放送局「FMユーメン」を4月に開局。7月にはヨボセヨと合体し「FMわぃわぃ」とした。

故郷の歌に涙

 アナウンサーは被災した外国人自身が務めた。昼間は、行政機関から配布される日本語のチラシなどをその場で翻訳しながら読み上げ、夜は、ストレスを和らげ孤独を癒やすようなふるさとの歌を放送。ベトナムの「漫才」を収めたカセットテープがスタジオに持ち込まれたこともあった。

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 「当初は無免許の海賊放送。それでも、ラジオという“公共の電波”で母国語を聴ける、と涙を流して感謝された」という。FMわぃわぃは翌年1月17日、郵政省(現・総務省)から「市民のためになる活動だから」との申し出で正式に免許が交付された。平成10年からはインターネット配信を開始。28年には地上波を停止し、完全にネットに移行している。

文化の橋を懸ける

 各国の食事や文化を紹介するイベント開催にも取り組んだFMわぃわぃ。「スタジオの中でも外でも出合いが生まれ交流が広がった」。始まりは外国人のための放送だったが、時を経て「国や民族を超えてつながるための橋を懸ける」ことになったと日比野さんは思っている。

 また、日比野さんとともに、FMわぃわぃ設立時から運営に携わってきた名古屋外国語大学の吉富志津代教授は、国籍や母語、文化背景の異なる多様な人たちが地域社会に参画するためのコミュニティー作りにコミュニティーラジオは身近な道具として活用しやすいと考える。「身近な情報を正しく、早く伝えることができるコミュニケーション手段になるとともに、スタジオには発信する地域の人々が集まることからコミュニティーの拠点そのものになれる」と話す。「世界的に見ても、コミュニティーラジオは地域住民の発信の道具として活用されるため、地域活動の延長線上に位置付けられている」。多文化共生社会の実現のために、コミュニティーラジオに果たせる役割があるという指摘だ。

 FM COCOLO(大阪市北区)は、日本初の外国語放送局として平成7年10月に開局した。災害時の多言語放送の必要性が指摘されたことから、関西経済界の支援を受けての誕生だった。

DJのMEMEさん。多言語放送は「外国人の孤立感を和らげることができる」と話す=大阪市北区
DJのMEMEさん。多言語放送は「外国人の孤立感を和らげることができる」と話す=大阪市北区
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 「当時、英語圏以外の外国人には情報量が少なかった。母語がラジオから聞こえることは、日本語が理解できない人の、孤立感を和らげたのでは」

 8年4月から同局でDJを担当するMEMEさん(51)は、神戸で生まれ育った在日華僑3世。阪神大震災の発生時は米国で暮らしていたが、2カ月後に帰国すると街は様変わりしていた。「思い出も全てなくなってしまった。ここで何かしたい」と日本へ戻ることを決めた。英語と中国語が堪能なことからCOCOLOから声が掛かると、アジア各国の音楽を紹介しながら、日本語を基本に3割は中国語で話した。

 COCOLOは、24年に株式会社FM802に事業譲渡した後も、午前5時と午後8時台に日替わりで計12の言語で放送を行っている。また、関西エリアで震度5弱以上の地震が発生した際は、日本語に加え、英語、韓国語、中国語で情報を流す。台風など他の災害でも同様の体制だ。「12カ国語でお届けしている私たちは多国籍チーム。それは他の局にはない強み」

 一方で、阪神大震災当時に比べ、技術革新が進む今は、ラジオ以外にも、多言語対応できる自動翻訳機器などが飛躍的に進化している。MEMEさんも、外国人の情報収集法は多様化し、個人での情報発信もしやすくなっているとしたうえで、「災害時のラジオの役割とは何かと考えると、結局、COCOLO設立当初の精神に戻るんですよ。情報の伝達と孤立感を和らげること。今は、新型コロナウイルスの感染拡大で孤独を感じている人がいるかもしれない。そこで、1人じゃないよ、ラジオはいつもそばにいるよと伝えたい」と力を込めて話した。

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