【パインアメ 長く愛して(3)】社長修業中に大損… 経験が前進する力に パイン社長、上田豊さん - 産経ニュース

【パインアメ 長く愛して(3)】社長修業中に大損… 経験が前進する力に パイン社長、上田豊さん

社長に就任した翌年、入社式であいさつに立つ上田豊さん=平成4年(パイン提供)
 昭和47(1972)年に慶応大学を卒業したパイン社長の上田豊さん(68)。就職した食品商社で、さまざまな経験を積んだ。そして50年、パインに後継者として入社した。(聞き手・藤谷茂樹)
 --大学卒業後、すぐに父親の保夫が社長を務めるパインに入らず、ほかの企業に就職されたんですね
 上田 採用試験を受けたのは3社。いずれもイメージが好きな会社でしたが、当時は「いずれは事業を興したい」という考えもありました。食品関連なら起業しやすいだろうと、食品商社を選びました。ただ、理屈が通らないことが嫌いな性格でしたから、横柄な態度を取る取引先や上司と衝突し、思わず乱暴な河内弁が飛び出すこともありました。仕事を通じて、悩んだり苦しんだりいい経験を積みました。
 --3年ほどの勤務を経て、パインに入社します。次期社長としての修業が始まったわけですね
 上田 26歳になる昭和50年でした。それまで自由にさせてもらった分、「後継者として戻ってこい」という父の思い通りになった形です。それからの十数年間、むちゃくちゃ忙しかった。営業の研修を終わってから、そのまま東京の営業責任者になるなど、いろんな部署に勤務しました。すべて初めての仕事で、時間がなければ休みをつぶして働いてました。24歳で結婚して、子供は3人でしたが、運動会や授業参観に行けたのは1回だけ。少し体調を崩して医師に診てもらうと、「週1回は休むものです」と叱られました。
 --会社に大きな損失を与える経験もあったそうですね
 上田 平成元年のことでした。私が責任者として、イタリアのメーカーから新しい機械を導入しました。アメをパイ生地状に重ね、サクッとした食感の製品を作れるものでした。アーモンド味と抹茶味を試すと、表面がツルッとしてキラキラと光り、それはおいしかった。しかし、1週間もせずに色が変わってしまう。これでは商品になりません。1億2千万円、関連経費を含めれば2億円もかけた生産ラインを駄目にしました。機械は解体して、すでにありませんが、手応えがあった製品です。商品化はあきらめていませんよ。
 --その2年後、41歳で社長に就任しました
 上田 父は「自分の失敗は自分でぬぐえ」という思いだったのでしょう。もちろん驚きましたが、父はちょうど透析を受けるようになった時期です。体調が芳しくなくなる中、世の中の流れをつかむ経営者としての感覚が鈍るという危機感があったのかもしれません。そうなったら、後進にバトンを渡すことが経営者の責任ですから。
 --大きな失敗をした後です。気後れはしませんでしたか
 上田 リスクはチャンスだと思っています。いろんな経験をしていくことが、わが社が前を向いていく原動力になります。無事平穏というのが一番危険です。どこかに落とし穴はないかと、じっと観察してリスクを予感する。それに対して何かを変えて、毎日を活性化していくことで、事業が継続していきます。
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【プロフィル】上田豊(うえだ・ゆたか) 昭和24年11月28日、大阪市生まれ。47年に慶応義塾大経済学部を卒業し、食品商社に勤務。50年、父親が創業したパインに入社。常務、専務などを歴任し、平成3年4月から社長。27年から全国飴菓子工業協同組合理事長を務める。