【関西の力】王国誕生(3)阪神・阪急沿線は名作の舞台 谷崎潤一郎、村上春樹、手塚治虫ら育んだ土壌、文化に - 産経ニュース

【関西の力】王国誕生(3)阪神・阪急沿線は名作の舞台 谷崎潤一郎、村上春樹、手塚治虫ら育んだ土壌、文化に

 阪急電鉄、阪神電鉄が結んだ大阪-神戸間の沿線は、大阪と神戸の文化が混じり合い、明治後期から昭和初期にかけ、西洋文化の影響を受けた「阪神間モダニズム」と呼ばれる文化が発展。伝統に縛られない自由な雰囲気のなか、手塚治虫、村上春樹といった多くの文化人の才能を育む土壌となった。
阪神間で暮らした主な文化人
「細雪」生む
 阪神間に暮らした文化人といえば、神戸や芦屋に移り住んだ文豪、谷崎潤一郎が代表格。昭和初期には当時、新聞記者をしていた井上靖も西宮に住み、谷崎から新聞に掲載する原稿を受け取っていたという。
 昭和8(1933)年には、「鉄腕アトム」や「リボンの騎士」など数々の名作を残した漫画界の巨匠、手塚治虫の一家が阪急沿線の兵庫県宝塚市に移住し、宝塚新温泉や遊園地、歌劇に親しむ。
▼【関西の力】王国誕生(1)宝塚歌劇場、甲子園球場…まちづくりは私鉄が原動力 今に続く経営モデル
 手塚作品に登場する未来都市のイメージは、当時の阪急の駅から着想を得たといい、リボンの騎士は歌劇の影響を受けているという。「関西文学」の編集長などを務めた文化プロデューサー、河内厚郎さんは「手塚治虫はまさに阪急沿線の申し子だ」と話す。
 毎年のようにノーベル文学賞候補に目される作家、村上春樹も少年時代を阪神間で過ごし、主に阪神沿線で育った。エッセーでは自らを「阪神間少年」と称している。当時西宮にいた洋画家、須田剋太に絵を習い、宝塚までピアノを習いに行くなど、少年時代から文化的な環境に恵まれた。
 村上は大学入学とともに上京するが、その作品には、夙川や甲山、西宮神社など、阪神間の風景とみられる場面が多数登場する。
 近年でも、映画化もされた有川浩の小説「阪急電車」や西宮市出身の小説家、谷川流原作の「涼宮ハルヒ」シリーズのアニメに阪急沿線の風景が描かれるなど、沿線が描かれる小説や映画、アニメ作品なども少なくない。
夙川駅の上を走る阪急電車=兵庫県西宮市の夙川
 沿線文化に詳しい関西大学社会学部の永井良和教授(大衆文化論)は「沿線が育てた文化的な環境が、天才を育てた。谷崎も阪神間に来なければ『細雪』はできなかった。そこにいた無数の市民が彼らに刺激を与えた」と話す。
交流を促進
 大阪-神戸間の鉄道は明治7年に旧国鉄の前身の官設鉄道が開業、阪神、阪急が続いた。当時、工業化が進んでいた大阪は「煙都」と揶揄(やゆ)されるほど環境が悪化し、大阪の富裕層の人々が相次いで移住した。河内さんは「当時の大阪は、土地の広さやしきたりの面でも窮屈だった。解放されたいという気持ちもあったのではないか」と説明する。
 沿線には、芸術家や外国人も移り住み、カトリック夙川教会や旧甲子園ホテルなどに代表される洋風の建物も増えた。芸術を支えるパトロンになる富裕層も多く存在。阪神間モダニズムは、そこで花開いた文化の総称として、河内さんが名付けた。
▼【関西の力】王国誕生(2)関西私鉄は「官に対抗」が原動力 運賃や駅数…激動の阪神間
 河内さんは「大阪のブルジョア文化と神戸から入った西洋文化が阪神間で融合した。それは鉄道によって促進された」と話す。
 こうした気風は沿線文化として今も根付く。平成27(2015)年3月には、阪神沿線にある美術館や博物館など7館の合同企画展「阪神沿線の文化110年」が開かれ、大正12(1923)年の関東大震災後に神戸や芦屋に居を移した谷崎潤一郎や戦後、芦屋で設立され、従来の芸術概念を超えた作品やパフォーマンスなどで国内外で評価される前衛美術集団「具体美術協会」など、沿線の歴史とともに、ゆかりの作品が紹介された。
 企画した神戸市灘区の「BBプラザ美術館」顧問、坂上義太郎さんは「鉄道は、人や物を単に運ぶだけでなく、人的交流を促進させ、文化を発展させた。鉄道が果たした役割の大きさを知ってほしかった」と語った。   =この項、おわり
(平成29年3月15日夕刊1面掲載 年齢や肩書き、呼称は当時)
     ◇
 伝統、文化、医学、農業、エンターテインメント、スポーツ…。関西には世界に誇れる魅力あるコンテンツがあふれている。現状の停滞を打破し、突破できる「力」とは何か。この連載では、さまざまなジャンル、切り口で「関西の力」を探る。