「花は人生」 業界切り拓く フラワーアーティスト、石橋恵三子さん

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明るい髪色と金のピアスが定番の石橋恵三子さん。「おしゃれは楽しまなきゃもったいない」と話す(産業編集センター提供)

 テレビ朝日の人気長寿番組「徹子の部屋」。司会の黒柳徹子さんが「第二のゲスト」と呼ぶスタジオの花を、第1回の放送から1万回以上も生け続けているのが、フラワーアーティストの石橋恵三子さん(77)だ。テレビの黎明(れいめい)期から、花だけでなく出演者が口にする食べ物など、業界用語でいう「消えもの」を担当。50年以上にわたり、さまざまな番組づくりを支えてきた。

「徹子の部屋」当初から支え 1万回超

 ゲストにお笑いコンビ「千原兄弟」を迎えた8月17日放送の「徹子の部屋」。弟の千原ジュニアさんが「(前回出演で)ゲストをイメージしていると聞いてから、楽しみで仕方ない」と、話題はスタジオの花に及んだ。

 このとき生けられていたのは鈴なりのホオズキとツルバラで、「兄弟愛をイメージしました」と石橋さん。「お盆の放送ですし、ホオズキは、お二人がお子さんへのプレゼントに持ち帰れるでしょ」。細やかな心配りが、石橋さんに寄せられる信頼の裏付けだ。

 番組の収録は毎週月・火曜日に計7本。フラワーアレンジメントの準備はゲストの情報収集から始まる。「キャラクターや近況からイメージを膨らませて、飾る花を決めます」。金曜日に生花市場でまとめて仕入れ、局内で保管。収録直前に生ける。

 ときおり、花と、黒柳さんやゲストの衣装の色がシンクロすることがある。6月26日の放送では黒柳さんの赤、女優の梶芽衣子さんの白の衣装に対し、生けていたのは赤と白のバラ。周囲はこうした現象を“石橋ミラクル”と呼ぶ。発現したときは「私が抱いたイメージがその方と合っていたんだと、うれしくなってスタジオの隅でガッツポーズします」。

「華道」から「料理」まで

 昭和15年、東京生まれ。自営業の両親の元でおてんばに育った。中学生のとき、「身を立てる芸を持ちなさい」という母親の教えから華道部に。すると「『筋がいい』と、先生にご自宅でも稽古をつけてもらい、2年で松風(しょうふう)流の免状をいただきました」。

 高校以降は花から離れたが、姉の嫁ぎ先の生花店を手伝い始めたことが人生を大きく動かした。すぐ近くにあった日本教育テレビ(現・テレビ朝日)に花を納入するうちに、華道の心得があると知ったスタッフからアレンジメントを依頼され、さらには「いつの間にか、料理まで引き受けることになりました」。実家が料理屋の母親の影響で身についた、料理の腕と知識を買われた。

「花は人生そのもの」

 こうして“消えもの係”に就任。師匠や上司と呼べる存在はいない。だから常に「自分で決めた合格点」を目指し、納得のいくでき栄えを追求した。こうした姿勢が信頼を呼び、仕事はテレビ業界の伸び盛りとともに軌道に乗っていった。

 28歳のとき、同局の男性と結婚。30代で母親になったが、仕事を辞めるという選択肢はなかった。「ずっと一緒にいられない分、心健やかに育てる環境で、教育という財産だけは身につけてあげよう」。幼稚園に車で迎えに行き、そのまま仕事場に連れて行くこともしばしば。車中では道路標識で文字を教えたり、九九を教えたりした。

 育児まっただ中の昭和51年2月2日、「徹子の部屋」の放送がスタート。「ここまで続くとは考えてもみませんでしたね」と、伴走してきた長さを思う。6月にはこれまでの仕事の回想録『「徹子の部屋」の花しごと』(産業編集センター)を出版した。

 生きがいをくれた花は「私にとって人生そのもの」。だから、これからも花を生け続ける。「ずっと現役です。私には『引退』と『老後』はありません」と、快活に笑った。

キーワードは遂行力

 難題であればあるほど燃えるタイプ。季節外れのお花でも、要望があれば収録に合わせて咲かせる。湿らせた新聞紙でつぼみを包み、ポリ袋で覆って部分的な“温室”に。茎の断面をバーナーで焼くこともある。すべて長年の経験から培った技術だ。苦労して準備した花が最終的には画面に映らないことがあっても、「気にしません。私の満足は、自分で納得できたかどうかですから」。石橋さんが第1号だという「消えもの係」。自分の居場所を確立するのは自分の仕事ぶりなのだと、改めて感じた。(藤井沙織)