父の思いに背中を押され 「あかんたれ」から卒業 パイン社長、上田豊さん

パインアメ 長く愛して(2)
パイン本社前に立つ上田豊さん。父親の保夫さんのパイン缶好きが高じてパインアメが誕生した(永田直也撮影)

 パインは現社長の上田豊さん(68)の父親、保夫さんが興した。創業は昭和23(1948)年、会社の設立は26年。パインアメは、保夫さんのパイン缶好きがきっかけで生まれたいう。(聞き手・藤谷茂樹)

 上田 父は戦時中、中国の桂林に出征し、道や橋を造る部隊に所属しました。戦闘を目の当たりにする環境に身を置き、肝が据わったそうです。祖父は米菓のメーカー「業平(なりひら)製菓所」を経営していたそうですが、父は独立心にあふれてました。戦後、初代工場長となる方と出会い「アメを作らへんか」と誘われたのが始まり。当時、デルモンテのパイン缶が好きで、それが高じてパインアメの開発につながりました。

 --上田さんが生まれたのは、会社が創業した翌年の24年です

 上田 物心ついた頃には、工場を遊び場にしていました。水アメをつまみ食いしたり、香料の箱を基地にしたり、機械の下に潜り込んで、えらい怒られたり。でも、小さい頃は、女の子にけんかで泣かされるような、根性なしの「あかんたれ」でした。

 --中学を卒業すると、大阪を離れ、神奈川の慶応義塾高校に進学されました

 上田 旧制中学卒の父には、わが子は大学まで行かせたいという思いがあったようです。父が、下宿を決めて、体力もつけてと、進学してからの生活をささやくわけです。「慶応」に進むことを前提に話すものだから、自然とその道を選びました。父は平成23(2011)年、89歳で鬼籍に入りましたが、それまでずっと怒られた記憶がありません。何かあるたびに、つぶやくように背中を押し、うまいこと導いてもらいました。おかげで「あかんたれ」が「一人前」に成長できました。子供の頃からパインアメのことは頭に染みついています。父が夢見たのはパインアメの製造全自動化。3年後は父の生誕100年です。いつか実現することを目指しています。

 --どんな学生時代だったのでしょう

 上田 友人のお母さんが「関西から来て大変でしょう」と弁当を持たせてくれ、多いときは3つも。とにかく腹が空く頃で、1日6食でも大丈夫でした。高校2年で剣道を始めましたが、周りは経験者ばかりで素人では勝てません。でも、裸足のランニングでは誰にも負けず、腕っぷしも強くなりました。学生闘争の時代、運動部を襲いに来る活動家の学生もいて、返り討ちにしてやりました。

 --いろんなアルバイトも経験されたそうですね

 上田 時給が高かったので、工事現場のアルバイトをしましたが、1日で体がガタガタ。下宿のおばさんに「よくそんなアルバイトするわね」とあきれられました。中学生の家庭教師では、自分が教わった家庭教師のやり方をまねて、勉強に興味を持たせるように指導しました。成績が上がって親御さんに喜んでもらい、ステーキをごちそうになったことも。無事に大学を卒業したので、勉強もちゃんとしてきたはずなんですが、そんな記憶はあまりないです。

     ◇

 【プロフィル】上田豊(うえだ・ゆたか) 昭和24年11月28日、大阪市生まれ。47年に慶応義塾大経済学部を卒業し、食品商社に勤務。50年、父親が創業したパインに入社。常務、専務などを歴任し、平成3年4月から社長。27年から全国飴菓子工業協同組合理事長を務める。