スポーツ用品メーカー(1)「日の丸スポーツ」関西に拠点 ハイテク技術の塊、ものづくり文化に支えられ

関西の力

 今月16日に大阪府内で開かれた記者会見。ふだんはライバル関係にあるメーカー同士がタッグを組む異例の取り組みが発表された。

 「少子化のペースよりも野球人口減少のペースの方が速い。われわれのブランドを使って何かできないか」。ミズノ執行役員の久保田憲史氏(59)は熱っぽく訴えた。

ミズノ本社1階ギャラリーには昭和15年に作られたグラブ(左端)をはじめ、時代とともに変遷してきた野球道具が展示されている=大阪市住之江区(志儀駒貴撮影)

日の丸スポーツ 関西に拠点

 野球用品メーカー21社が集まって発足した「野球・ソフトボール活性化委員会(球活委員会)」。記者会見には、代表理事を務める久保田氏以外にも、アシックス、エスエスケイ、ゼットといった関西発祥のメーカーの幹部が出席した。今後は幼児でも使いやすい野球用具の共同開発などを行っていく予定で、スポーツ用品の歴史などを研究している大阪成蹊大の植田真司教授は「これからは『競争』だけでなく『協働』という視点が必要」と期待を寄せる。

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 そもそも、日本のスポーツ産業は、明治39(1906)年に水野利八氏が弟とともに大阪で水野兄弟商会(現ミズノ)を創業したのが始まりとされる。シャツや靴下などを売る「運動用品店」だったが、次第に野球のボールや運動服の製造を手がけ、現在の総合用品メーカーの礎を築いた。

 昭和10(1935)年に、後のデサントとなる石本商店が同じ大阪で誕生。24(1949)年にはバスケットボールシューズを製造販売する鬼塚商会が神戸で生まれた。現在のアシックスの前身で、初代社長の鬼塚喜八郎氏が全国を駆け回って改良を重ねた「オニツカ」のシューズは他競技でも五輪選手が愛用するブランドになった。

関西の主なスポーツ用品メーカー

2020年東京五輪・パラリンピックを見据え

 関西から次々とスポーツ用品メーカーが生まれた背景には、シューズや野球用具の材料となるゴムや革、綿などを扱う産業が、大阪や神戸を中心に盛んだった地域特性がある。独自の技術力を活用しながら事業展開する企業の存在も商品開発の一助となった。植田教授は「戦後、首都圏に産業の拠点が移っていく中で唯一、関西に技術者が残った産業がスポーツ用品産業だった」と話す。

 そうした関西のものづくりの文化の中で発展してきたスポーツ用品は今や「ハイテク技術の塊」ともいわれる。大手スポーツ用品メーカーは「技術開発競争をリードする企業」でもある(ともに「関西スポーツ産業のポテンシャルと今後の展開に関する調査」から)。

 メーカーの垣根を越えた「球活」が緒に就く一方で、2020年東京五輪・パラリンピックを控え、国内のスポーツ産業はある意味、戦国時代を迎えているともいえる。ナイキやアディダス、プーマ(ドイツ)といった海外ブランドの進出も著しく、熾烈(しれつ)な生存競争は激しさを増している。

 関西生まれの“日の丸ブランド”はどう伍(ご)していくのか。昨夏のリオデジャネイロ五輪で、日本勢の史上最多となる41個のメダル獲得を支えた各メーカーの力が問われる時代が到来している。

(平成29年1月30日夕刊1面掲載 年齢や肩書き、呼称は当時)

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 伝統、文化、医学、農業、エンターテインメント、スポーツ…。関西には世界に誇れる魅力あるコンテンツがあふれている。現状の停滞を打破し、突破できる「力」とは何か。この連載では、さまざまなジャンル、切り口で「関西の力」を探る。