8時ちょうどの「あずさ」は3号 エル特急全盛時代 国鉄監修 交通公社の時刻表・昭和53年10月号

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赤とクリームの国鉄特急色の183系で運転されていた「エル特急・あずさ」=昭和52年、国鉄新宿駅

 今年3月に行われたJRグループのダイヤ改正で、国鉄時代から続いた「エル特急」の歴史にピリオドが打たれた。

 本数の多さや発車時間の分かりやすさ、自由席の設定を売りにした特急のブランド名として昭和47(1972)年10月に登場したが、JR移行後はほとんどの特急がそれらの特徴を持つようになり、呼称が有名無実化していた。45年以上の間、多くの人々に親しまれたエル特急。ヒット曲のタイトルとなった有名な列車もあり、人それぞれに思い出の特急があるはずだ。

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 「国鉄監修 交通公社の時刻表」の昭和53(1978)年10月号を開いてみよう。巻頭の黄色いページで、全国ダイヤ改正がくわしく紹介され、数々のニュースのひとつに「エル特急の仲間入り」がある。「雷鳥」「しらさぎ」「やくも」「さざなみ」「あずさ」など、それまでの19列車に、紀勢線の和歌山-新宮間電化で電車特急となった「くろしお」など6列車が加わり、25列車になった。47年10月の登場時は「つばめ」「はと」「しおじ」「ひばり」「とき」など9列車。増強が続いていたことが分かる。

 キャッチフレーズは「数自慢、カッキリ発車、自由席」。例えば雷鳥は本数(下り片道)16本を誇り、大阪発は毎時5分発(35分発もあり)に固定され、12両編成中3両が自由席だった。国鉄がエル特急を前面に押し出したのは、特急は気軽に乗れることをアピールし、増収につなげるため。「エル」に特段の意味はなく、ラブリー、リトル、ライナーの「L」からとったという説もある。

 全国津々浦々を走ったエル特急だが、中高年層に最も有名な列車を挙げるなら中央線で新宿、松本などを結ぶ「あずさ」だろう。52年3月、兄弟デュオの「狩人」がデビュー曲として発表した「あずさ2号」は、傷心の女性が新宿発8時ちょうどの「エル特急・あずさ2号」に乗り、信濃路へ旅立つ心情をつづったもので、大ヒットした。

 ただ、新宿発8時ちょうどの「あずさ2号」は曲が発売されたわずか1年半後に消えた。理由は交通公社の53年10月号の黄色いページの「上り偶数、下り奇数」という項目を読めば分かる。それまでは早く出発する列車から1号、2号とつけられていた在来線の特急、急行の号数を、新幹線と同様、上り列車は偶数、下り列車は奇数とするようにルールを変えたのだ。

 時刻表は「あずさ2号といえば、甲府から新宿へ向かう上り列車で、松本方面へ向かう列車は、1号、3号と奇数番号がつくことになります」と説明している。このルール変更で新宿発8時ちょうどの「あずさ」は3号。「あずさ2号」は甲府7時35分発の新宿行きで、信濃路には旅立つことはできなくなった。

 また、このダイヤ改正で、文字のみだった電車特急のヘッドマークがカラフルな絵入りとなったことも特筆すべき事項。エル特急のヘッドマークの絵には「L」の文字が入った。

 エル特急は21世紀に入るころから、数を減らしていく。自由席や定時発車といった特徴が、すべての特急に浸透し、わざわざエル特急と呼ぶ必要がなくなったからだ。JR各社は次々と呼称を廃止し、最後まで残っていたJR東海も今年3月、「ひだ」「しなの」「しらさぎ」をエル特急指定から外した。

 また国鉄時代の遺産が消えた。しかし、クリーム色の車体に赤いラインの「国鉄特急色」の車両で、さっそうと走ったエル特急の姿は忘れない。(鮫島敬三)

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【プロフィル】狩人(かりゅうど) 愛知県出身の兄弟、加藤久仁彦さんと高道さんが結成したデュオ。昭和52年3月、作詞竜真知子、作曲都倉俊一の「あずさ2号」でデビュー。これが大ヒットし、その年のNHK紅白歌合戦に初出場を果たした。同年8月に発売した第2弾シングル「コスモス街道」もヒットし、スターとしての地位を築いた。