【関西の議論】女性研究者が女王アリの秘密に迫る - 産経ニュース

【関西の議論】女性研究者が女王アリの秘密に迫る

 地球上で最も繁栄している生物の一つとされるのがアリ。身のまわりにもたくさんいるが、その生態は意外と知られていない。なかでも興味深いのは女王アリで、他の生物にはない驚く能力が備わっている。交尾するのは巣を飛び立つ1回だけ。その際にオスからもらった一生分の精子を、体内の袋にためて10年以上に渡って大事に使用するのだ。女王アリはなぜそれほど長い間、精子を体内に貯蔵できるのか。仕組みを解明できれば、ヒトや家畜の精子の保存への応用が期待できるという。この分野で世界の研究をリードする、甲南大理工学部講師の後藤彩子さん(38)の研究室を訪ねた。(坂田弘幸)
世界最多の数万匹飼育
 六甲山(神戸市)の南麓に後藤さんの研究室はある。奥に6畳ほどの広さの飼育室があり、そこで約20種類のアリを育てている。
 「趣味で飼っているアリも多い。女王アリだけで数万匹おり、数は世界一」。後藤さんは胸を張る。女王アリの寿命は長く、多くの種で10年以上生きる。研究室で現在最も長く生きているのは、平成23年に野外で捕まえた在来種の「キイロシリアゲアリ」の女王だ。
キイロシリアゲアリの女王(後藤彩子さん提供)
 キイロシリアゲアリはその名の通り、黄色の尻がツンと上がっているのが特徴。昨年には強い毒を持つ外来種「ヒアリ」と間違われて大量に駆除される“悲劇”に見舞われた種類でもある。主に研究に使っている種でもある。
 アリの飼育といえば、土が入った縦置きのケースをイメージするが、後藤さんの研究室では小さなプラスチックケースを使用。中は土ではなく石膏(せっこう)が敷き詰められている。石膏は水を吸収して湿度を保てるため、土よりもアリを育てやすいという。
 小学生の時からアリの行列を見るのが好きだったという後藤さん。中学生になると、女王アリが無精卵と受精卵でオス、メスを産み分けていることを知った。「アリの世界には知らないことがたくさんあると感動した」と振り返る。
リーダーではない「女王」
 ところで、アリは日本で約300種、世界には約1万種いるといわれている。体長は小さいもので1ミリ、大きいものでは4~5センチあり、色や形もばらばらだ。キノコを育てたり、敵が来ると自爆して巣を守ったりと多種多様な生態を持つ。
飼育室でアリの入ったケースを手にする後藤彩子さん=神戸市東灘区
 そんなアリの巣はだれが統率しているのか。後藤さんによると、女王アリではないという。「女王」とは名ばかりで女王アリには集団を指揮する力がなく、アリの社会にはリーダーが存在しないのだ。
 アリは「社会性昆虫」と呼ばれ、女王アリや働きアリは役割分担しながら集団生活している。女王アリの役目は繁殖。働きアリもメスだが、多くの種で生殖器官がなく、子育てや食糧調達に専念する。
 そんな中、悲哀を感じてしまうのはオス。メスに比べて数が圧倒的に少なく、繁殖期にしか生まれない。成虫になって数カ月で巣から飛び立ち、交尾を終えると力尽きたり、カエルなどに食べられたりして一生を終えるのだ。
蒸し暑い夜、アリを求めて街中へ
 そんなアリの世界に魅せられた後藤さんの研究テーマは「女王アリが精子を長期間体内に貯蔵できる仕組みの解明」。
 女王アリが交尾をするのは、生まれ育った巣から一斉に飛び立ち、街灯などに群がって、別の巣からやってきたオスと交尾する「結婚飛行」の時だけ。その時にオスからもらった精子を一生分として体内の「受精嚢(のう)」にためておき、産卵時にそこから必要な分を出して受精させる。
 実に10年以上にわたって受精嚢で精子を生かしておくことができるのだが、そんなことがなぜ可能なのか-を突き止める研究だ。
アリを飼育するプラスチックケース。土の代わりに石膏が敷き詰められている
 研究には多くの女王アリが必要になる。採取するタイミングは年に一度しかない。結婚飛行のときだ。
 キイロシリアゲアリの場合、結婚飛行は9月ごろ。決まって雨が降った日の翌日の蒸し暑い夜だ。「シーズン中は気を抜けない。毎日天気予報をチェックする」。
 いざその日が来ると、後藤さんはピンセットと空のペットボトルを手に、アリが飛び回るコンビニや自動販売機の周辺に。「交尾を終えた女王アリは地上に降りてハネを落とすのでそこが狙い目」と地面に目をこらし、徹夜で一度に数万匹もの女王アリを採取する。
 その様子に「コンタクトレンズや鍵を落としたのかと心配されることもある」という。
いずれヒトへの応用も
 後藤さんは精子を体内に長期間貯蔵できる理由を「精子を休眠状態にしているためではないか」と推定。研究の結果はその予想通りで、受精嚢の中で精子は動きが止まっており、取り出すと動き始めることを確認した。
 現在、不妊治療や畜産では、ヒトや家畜の精子が液体窒素で凍結保存されている。後藤さんは女王アリの研究が「ヒトや家畜の精子を常温で貯蔵することで、ダメージが少なく、高品質に保存できる技術の開発につながるはず」と力を込める。
小型のプラスチックケースでアリを飼育する後藤彩子さん=神戸市東灘区
 「女王アリがオス、メスを産み分けるメカニズムや、何をきっかけに女王アリが生まれるのかなど、やりたい研究は山ほどある」と後藤さん。アリの行列の先には人間が知らない、実に奥深い世界が広がっている。