【関西の議論】琵琶湖から天然ガス、戦中戦後に湧出の記録…近畿の水がめは天然資源の宝庫だった - 産経ニュース

【関西の議論】琵琶湖から天然ガス、戦中戦後に湧出の記録…近畿の水がめは天然資源の宝庫だった

「琵琶湖天然瓦斯縁起」には、大人の身長を超えるボンベにガスを詰めている様子が描かれている
「琵琶湖天然瓦斯絵巻」に描かれた「工場から見た比叡の眺め」を説明する木津勝学芸員(左)と久保進さん=滋賀県草津市北山田町
「この川からガスボンベを積んだ船が出ていった」と、琵琶湖での天然ガス採掘の様子を懐かしむ久保進さん=滋賀県草津市北山田町
 日本最大の湖、滋賀県の琵琶湖で戦中から戦後しばらくまで天然ガスが湧出し、鉄道や民家の燃料などに活用されていた。大津市歴史博物館や地元の人によると、一部の湖岸部を掘ると「ボコボコと湧き出てきた」といい、天然ガスの採掘は日常風景だったとも。その後は採掘されなくなったが、そもそもなぜ琵琶湖から貴重な燃料の天然ガスが出たのか。近畿の水がめの知られざる歴史を探った。(杉森尚貴)
きっかけは絵巻物
 「えっ、天然ガス?」。昨年末、インターネット上に出展されている古書類を検索していた大津市歴史博物館の学芸員、木津勝さん(48)は、東京の古書店の「琵琶湖天然瓦斯(がす)縁起」という目録に目をとめた。
 昭和18年に創業し、戦後しばらくまで琵琶湖岸で天然ガスを採掘していた「琵琶湖天然瓦斯会社」が、絵巻物風にまとめた社史だった。「琵琶湖で天然ガスなんて、ほとんどの人が知らない」。早速取り寄せてみた。
 絵巻物は21年の制作で、「何千年、何萬(まん)年ともさだかに判(わか)らぬ大古。矢張(やは)り此(こ)の所には大きい水溜(た)まりがあって…」と古代琵琶湖の説明から始まり、事業概要が巻物にイラスト付きで記されていた。
 現在の滋賀県草津市にあたる山田村に工場を置いて天然ガスを採掘し、ボンベに詰めて対岸の大津市まで運んだことなどを記載。和船にボンベを積んで運ぶ様子も絵に描かれていた。天然ガスは大津市に運ばれた後、当時、同市を起点に琵琶湖西岸を走っていた江若(こうじゃく)鉄道の燃料にあてられたとも記されていた。
 木津さんも聞いたことのない話だった。「(絵巻物は)先人からの贈り物。知られざる歴史の一面にスポットを当てたい」。記載された事実を確かめようと、裏付け調査を始めた。
現場行ってみるか?
 まず工場があったという草津市に問い合わせたが、市の資料には天然ガスが採掘されていたとの記録は残っておらず、真偽は不明。そこで現場を歩き、手がかりを探したが、何せ70年以上前の話。従業員らの手がかりもほとんどない。懸命につてを頼って調べるうち、当時を知る草津市北山田町の久保進さん(84)に行き着いた。
 工場から見た対岸の比叡山を描いた絵巻物の絵を見せると、「ああ、あの工場か」と久保さん。確かに工場はあり、小学校の課外授業で見学に行ったという。そこでは、コポコポと田んぼから湧き出す気体をボンベにつめ、船で出してた。「田んぼしかなかった場所に、すごい会社ができて驚いた。当時の現場に行ってみるか?」
 久保さんに案内された場所は、琵琶湖岸の同市北山田町の浄水場近く。現場を見たとたん、この場所で間違いないと確信した。対岸に見える比叡山の風景が、まさに絵のままだった。
 さらに近くの聞き込みで、天然ガス工場の横にあった電球製作工場で働いていた横江禎子さん(82)に出会った。
 絵巻物を見せると「まぁ、懐かしい」。横江さんによると当時、この一体は田んぼしかなかったが、その田んぼの至る所からガスが湧いていた。農家が農作業をするかたわらで、「エンコ」と呼ぶ鐘のような形のガス収集装置が田んぼに置かれ、竹でつくったパイプで工場に運ばれていた。「子供たちは工場やエンコの回りで遊んでいた。もう忘れ去られたもんやと思ってから面白いな」
水から火が出た事件の記録も
 そもそもなぜ、湖岸の農村地帯から天然ガスが取れたのか。その秘密は、昭和56年に滋賀県が編纂(へんさん)した「県天然ガス調査研究報告書」から読み取れる。
 同書は京都大学の地質学の教授らが作成。琵琶湖のメタンガスの有用性について検証したという。
 古代の琵琶湖は、現在よりも南東方向にあったとされる。同書によると、現在の湖周辺地域は過去は湖の中にあり、その地層では、長い年月をかけて動物の死骸などの堆積物が発酵し、ガスを生み出しているのだという。
 同書では「水から火が出た事件」という逸話も紹介している。「明治16年夏、当時の栗太郡常盤村(現草津市)」で、井戸を掘ろうと住民が穴を掘ったが、「風」しか出てこない。それでも5日間掘り進めると水が出てきたので、「めでたい」とカンテラを近づけて中を見ようした瞬間、噴き出ている水に火がつき、火柱となった-。「風」の正体は天然ガスだったのだ。
 こうして知られた琵琶湖のガスは、戦時中に全国的な燃料不足に陥ったことで注目を集める。琵琶湖の天然ガス田は、湖岸周辺に広範な範囲にわたって分布。同県高島市などでは家庭燃料として民家で利用していた例もあるという。琵琶湖天然瓦斯会社はこうした経緯の中で誕生したのだった。
 同社が廃業した後の昭和32年にも、琵琶湖の資源に目をつけた石油会社が、草津市の山田周辺で試掘を行ったとの記録がある。琵琶湖の地下資源を掘り起こす斬新な試みだったが、「地下400メートルで固い地盤に当たり、それ以上の試掘ができず、採算ベースに合わない」として、事業化は見送られている。
商業利用は難しい
 天然ガス調査研究報告書によると、琵琶湖天然瓦斯は65人の従業員を抱え、1日に約4千立方メートルの天然ガスを取っていた。現在の標準的な家庭での都市ガス使用量で単純に換算すると、4千戸近くの分量になる。
 「この天然ガスの火力の強さは現在の都市ガスの火力の約2倍だった」ともあり、もっと多くの家庭に供給できたかもしれない。同書によると、滋賀県内の10カ所で、昭和23~28年の6年間で計165万4756立方メートルの天然ガスが採掘されたとある。琵琶湖周辺は、国内有数の天然ガス田でもあったのだ。
 県立琵琶湖博物館の学芸員、里口保文さん(地質学)は「今でも琵琶湖の底をボーリング調査すると、たまにボコボコとメタンガスが噴出するため作業を中断することがある」と話す。かつて湿地だった場所など植物が腐食した地層が、湖底や湖岸にはいくつか点在しているためだという。
 日本は世界最大のLNG(液化天然ガス)輸入国。この琵琶湖ガス田が利用できないのかとも思うが、里口さんは、現在は各地点でまとまった量が湧出しないため「商業利用には難しい」という。
 絵巻物をきっかけに知られざる一面が明らかになった琵琶湖。木津さんは「琵琶湖の可能性が広がる貴重な資料だ。素直な驚きを広く共有していきたい」と話し、今後、絵巻物の展示方法なども検討するという。