【鉄道アルバム・列車のある風景】阪急今津線/宝塚に残る戦争の記憶 - 産経ニュース

【鉄道アルバム・列車のある風景】阪急今津線/宝塚に残る戦争の記憶

(1)戦時中にあった旧鹿塩駅跡も今や知る人ぞ知る場所になりつつある=兵庫県宝塚市(小林-仁川)
(2)武庫川に架かる橋の上には彫刻作品が点在している=兵庫県宝塚市(宝塚-宝塚南口)
沿線の栄枯盛衰を見ながら電車は今日も走る=兵庫県宝塚市(宝塚ー宝塚南口)
宝塚神社の境内近くを走る。界隈には寺社仏閣が点在する=兵庫県宝塚市(逆瀬川-小林)
逆瀬川を渡る電車=兵庫県宝塚市(逆瀬川-宝塚南口)
(撮影ポイント)
 閑静な住宅地を縫って走る阪急今津線北線。ターミナルの西宮北口と宝塚の間を14分で結ぶ、約8キロの短い路線だ。
 現在は門戸厄神から宝塚南口まで途中に6つの駅があるが、戦時中の昭和18年から20年にかけてもう1つ駅があった。当時の阪神急行電鉄が「京阪神」に社名を変更した年の12月15日、小林(おばやし)駅と仁川(にがわ)駅の間に設置された鹿塩(かしお)駅だ。
 当時、路線の東側に川西航空機というメーカーが工場を置いていた。大日本帝国海軍の戦闘機「紫電改」などの軍用機を中心に製造した。この工場で働く人たちの乗降用に設置された。対面式のプラットフォームを持ち、駅の運用は朝と夕方のみというから、専用駅といっていいだろう。
 駅のあった場所に行くと、いまは踏切に鹿塩の名前が残るのみ。踏切を渡りながらよく見ると、西宮北口方面の上り線路脇に、木製の柵で囲われた細長い空間がある。この辺りが駅だったようだ。
 昭和20年9月21日、終戦に伴って駅はわずか2年の役割を終えた。朝夕に工場労働者でにぎわっただろう界隈を、今はスピードも落とさずに電車が走り抜けていった=写真(1)。
 鹿塩駅設置からさかのぼること30年。北の終点・宝塚に音楽学校が、翌年には歌劇団が誕生した。こちらは現在も人気を博す、日本を代表するショーの中心地。沿線の栄枯盛衰を見ながら、電車は日夜休まず走っているのだ=写真(2)。(藤浦淳)