南海本線と阪堺電車 始まりは、やはり堺から

鉄道アルバム・列車のある風景
(1)明治の建築家・茂庄五郎設計の煉瓦建築の脇をラピートが走り抜ける=堺市堺区(七道-住之江)

 関空から難波に向かう特急ラピートが大和川の鉄橋にさしかかる直前、左手の車窓から大規模ショッピングセンターの一角にある瀟洒(しょうしゃ)な煉瓦造りの建物が見える。明治43年に竣工した、大日本セルロイドの旧工場内にあった事務棟のひとつだ=写真(1)。

 工場建築の名手・茂庄五郎(1863-1913)の設計。すっきりしたデザインが機能重視の美しさを見せていて、明治の産業遺構として専門家からの評価も極めて高いという。今はレストランとして活用されている。

 古くから「ものの始まり何でも堺」と言われる街である。大日本セルロイドは日本のセルロイド産業の発祥で、富士写真フイルム社の母体。そして煉瓦は官営工場がこの堺に最初に造られた。南海本線に乗ったらそんな近代化の歴史を封じ込めた建物を眺めたいもの。各駅停車に乗って七道駅で降り、ゆっくりと眺めるのも楽しい。

 その七道(しちどう)駅の西口広場には、堺・北旅籠町に生まれ、僧侶にして、日本人として初めて鎖国状態だったチベットに入った探検家・河口慧海(えかい)(1866-1945)の像もある。沿線に近代日本の歴史が濃縮されているのだ。

 初めてといえば南海電車もそうだ。明治17年、国内で初めて民間資本で設立された阪堺鉄道がその前身(同社HPより)。そしてその名を冠した阪堺電気軌道もまた、この地の歴史を今に伝えている=写真(2)。(藤浦淳)