信楽高原鉄道事故 ハの字にせり上がった先頭車両、死者42人…新録に包まれた鎮魂と誓い

平成の記憶
正面衝突した列車。双方の先頭車両は衝突の衝撃で折れ曲がった=平成3年5月14日(本社ヘリから)

 平成3(1991)年5月14日に発生した「信楽高原鉄道列車衝突事故」。滋賀県信楽町(現・甲賀市)で開催された「世界陶芸祭」に向かうJR西日本の臨時快速列車と信楽高原鉄道の普通列車が正面衝突した。衝撃で押しつぶされた先頭車両は、ハの字にせり上がり死者42人、600人超が重軽傷を負う大惨事となった。

事故現場となったカーブを通過する列車。まばゆいばかりの新緑は当時と変わらない=4月26日、滋賀県甲賀市信楽町

 昭和61年、旧国鉄の余部鉄橋事故(兵庫県香住町、当時)以来の大事故は、運行管理のあり方などさまざまな問題を浮き彫りにした。

 今月2日に亡くなった、遺族会代表で「鉄道安全推進会議」会長を務めた吉崎俊三さんは、国に公的な鉄道事故調査の専門機関設置を求め続けた。平成13(2001)年には、従来の「航空事故調査委員会」を改組した、航空・鉄道事故調査委員会(現・運輸安全委員会)が発足、事故原因を科学的に分析して、事故の再発防止に取り組むようになった。

ひっそりとたたずむ慰霊碑。悲惨な現場を見守り続ける

 しかし、17年には兵庫県尼崎市でJR福知山線脱線事故が発生、JR発足後最悪となる乗客106人が犠牲となった。

新緑の中を走行する列車=滋賀県甲賀市信楽町(柿平博文撮影)

 あの日から27年、新緑がきらめく事故現場を訪れた。線路脇に立つ慰霊碑には犠牲となった42人の名前が刻まれ、鉄道事故の悲惨さを訴えかけていた。

(柿平博文)

深い緑の中、静かに佇む慰霊碑=滋賀県甲賀市信楽町(柿平博文撮影)
新緑の中を走行する列車=滋賀県甲賀市信楽町(柿平博文撮影)

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