【関西経営者列伝】神戸移転、震災にも揺るがず フェリシモ・矢崎和彦社長(1) - 産経ニュース

【関西経営者列伝】神戸移転、震災にも揺るがず フェリシモ・矢崎和彦社長(1)

フェリシモの矢崎和彦社長。阪神大震災が起きた平成7年に本社を神戸市中央区へ移した=昨年11月、同社本社(渡辺恭晃撮影)
母(右)や姉と写真に収まる幼少期の矢崎さん
 ファッションやキッチン用品、手芸品や文具など、独創性あふれる品々を世に送り出すフェリシモ。昨年社長就任30年を迎えた矢崎和彦さん(62)は、普段は顧客と対面しない通信販売の企業だからこそ、作り手・売り手と買い手が「ともにしあわせになるしあわせ」を目指し続けている。阪神大震災が起きた平成7年に本社を大阪から神戸市中央区へ移して23年。社会全体が幸せになる商品開発をベースに、常に斬新な展開を追求している。(栗井裕美子)
「1・17」に込み上げる思い
 毎年、(阪神大震災が発生した)1月17日を迎える時期になると、特別な思いが込み上げてきます。
 平成6年の秋頃、翌年2月に神戸へ本社を移すことを決めました。生活文化に根ざしたビジネスをしているわれわれにとっては、古いものと新しいものが混ざり合い、自然も豊かな神戸がぴったりくるんじゃないかと感じたんです。
 引っ越しの日が待ち遠しくて指折り数える日々だっただけに、震災で街が傷だらけになったことはものすごくショックだった。「移転しない方がいいんじゃないか」とアドバイスをくれた方もいました。
 けれど、やめようとは全く思わなかった。めちゃくちゃ好きな人との結婚が決まったとするじゃないですか。その彼女がけがをして、予定日に式ができないとなっても、それで結婚をやめますか? 移転方針の維持は早い段階で決めました。
 鉄道の復旧などを待ち、実際に移転したのは7年9月。この年の12月、(震災犠牲者の鎮魂と街の発展への願いを込めた光の祭典)神戸ルミナリエが初めて開催され、この頃から街が活気を取り戻していった。すごくうれしかったですね。
父が通販創業、袋詰めお手伝い
 《昭和30年、5人きょうだいの末っ子として大阪で生まれた。父はフェリシモの前身「ハイセンス」を40年に創業。13歳離れた兄が2代目社長を務めた》
 兄と、3人の姉のうち2人は戦前生まれ。僕は父母が44歳の時の子で、年長の姉とは19歳、すぐ上の姉とも6歳離れている。みんなからかわいがられて育ちました。
 父は20代半ばに故郷の福井県で事業を興しましたが、戦争に行き、その後6年間もシベリアで抑留されてビジネスの基盤を失ってしまい、大阪へ出て大手メーカーで勤務しました。ここで、売り手の考えと消費者のニーズをうまくマッチングできないかと考えたのが、通販事業を始めるもとになったようです。
 最初に扱った商品は、若い女性向けのハンカチ。企業の総務部などに見本やダイレクトメールを送っていました。ちょうど高度成長期で女性の社会進出が進んだ頃で、時代にもマッチしたんだと思います。
 《幼少期には、家族総出で商品の袋詰めなどを手伝った。大好きな家族団欒(だんらん)の時間だった》
 夕食後、テレビを見たり会話したりしながら作業するんですが、みんな「きれいにできたね」「早いね」と褒めてくれる。本当にハッピーな時間でした。小さい頃は絵を描くのも大好きで、これも褒められては喜んでいました。
 ある日、母から白いシーツを渡され「ここに好きなように描いていいよ」と。いつもは広告チラシの裏とかに描いていたから、こんな大きなスペースに絵を描いていいんだとうれしくて。12色のペンで車や船、山や空、花など、手当たり次第に描き込みました。
 その後シーツのことは忘れていたんですが、結婚して間もなく実家に戻ったとき、母が「覚えてるか」と出してきてくれた。そのときは照れくさくて「ありがとう」くらいしか言えなかったけど、「大事にしまっておいてくれたんだ」と母の気持ちがうれしくて。自宅に戻ってじっくり見ていて涙が出た。このシーツは今も大切に持っています。
 【プロフィル】矢崎和彦(やざき・かずひこ) 昭和30年7月、大阪市生まれ。学習院大を卒業後、フェリシモの前身、ハイセンスに入社。62年に社長に就任した。商品カタログを書店で販売するなど独創的な展開で事業を拡大させる一方、阪神大震災後の1口100円の寄付、世界の子供に手作りのぬいぐるみを届ける「ハッピートイズプロジェクト」など、社会貢献活動にも力を入れている。妻と2人暮らし。趣味はスキー。