【関西経営者列伝】教育のベンチャーであれ イング・青木辰二名誉顧問(1) - 産経ニュース

【関西経営者列伝】教育のベンチャーであれ イング・青木辰二名誉顧問(1)

創業ゆかりの高石校の教壇に立つ、イングの青木辰二名誉顧問=昨年10月、大阪府高石市(門井聡撮影)
小学校入学のとき、母と記念写真に収まる青木辰二さん
 幼児教育や小中高校生向けの受験・学習指導、大学生や社会人を対象とした資格取得、就職支援など、さまざまな教育分野で事業領域を広げてきた総合学習館のイング(本社・大阪市浪速区)。大阪を中心に和歌山や京都でも教室・講座を展開し、多くの生徒らに寄り添っている。創業者の青木辰二名誉顧問(72)は「出会い、情熱、挑戦」をモットーに、今も自社とともに歩み続けている。(内田透)
オール英語授業 70過ぎて教壇に
 昭和44年に英会話スクールから出発して半世紀近く。教育事業のベンチャー、「世の中の流れを読み、変化をつくり出す企業でありたい」という思いで走り続けてきました。時代とともに変わっていくさまざまなニーズに応える。常に「生徒のために」を主眼に置き、多種多様な教育サービスの提供にチャレンジしてきました。
 社長職は平成28年、長男(崇幸(たかゆき)氏)にバトンタッチしました。もともとたたき上げで立ち上げた会社だし「一代でもいい」と思ってきましたが、長年勤めてくれた社員もいる。会社にとって、社員にとって何がベストかと考え、代替わりを意識するようになったんです。
 教育現場でのICT(情報通信技術)の積極活用、2020年度からの次期学習指導要領への移行など、教育をめぐる環境は目覚ましく変化し、多様化している。若い世代に後を任せるには今が一番いいタイミングかなと。最近は事業承継の難しさが社会的な課題にもなっていますが、うまく引き継ぐことができてよかったなと思っています。
 ただ、やっぱり人と接すること、現場が根っから好きなんですね。一昨年は二十数年ぶりに塾の教壇に立ちました。中学1年生が対象の授業でしたが、オール・イングリッシュで。生徒から見たら、おじいちゃんの年代でしょ。初めは緊張しましたが、笑いを取りながら進めるとすぐになじんでくれた。授業では、子供たちとの距離をどう縮めるかが一番大事なんだと、改めて気づかされました。
担任教諭に感化 学生時代を謳歌
 《大阪・堺で農業と雑貨店を営む両親のもと、7人きょうだいの末っ子として生まれた》
 終戦の12日後の生まれですから、まさに「戦後っ子」ですね。物のない時代でしたが、子供の頃はベッタン(メンコ)やビー玉遊びに熱中しました。末っ子だったから近所の人にもかわいがられてね。大人になっても「ボク」と呼ばれていました。
 母はとにかくよく働く人で、店の仕事で朝5時ぐらいから配達に行って、戻ったら畑に出て。地域の世話役のようなこともしていました。小さい時から、ああしなさい、こうしなさいというようなことは一切言われなかった。母には、自分のことは自分で考えて行動しろ、がまんをしなさい、という2つのことをよく教えられました。
 《中学3年のとき、担任教諭から英語が好きになるきっかけをもらった》
 誰とでも仲良くなれるタイプで、中学時代は3年間学級委員を務めました。中3の担任の先生はおもしろい人で、海外航路客船の船長の話を聞かせてくれ、格好いいなあとあこがれた。英語ができないと世界にはばたけないと思ってしっかり勉強するようになり、高校、大学ではESS(英語研究部)に所属して、スピーチや英語劇などさまざまなことに挑戦しました。
 高校受験では第1志望だった大阪府立校に落ちて、私学の桃山学院高に進みました。試験の前日に体調を崩したんですが、大きな挫折だったし、ショックでしたね。けれど、振り返ればこれがかえって良かった。自由な校風が自分の性格に合っていたし、勉強も遊びも、人生で最もエンジョイした3年間でした。妻とは高校3年のときに交際を始めた。思えば、もう50年以上のつき合いになります。
 【プロフィル】青木辰二(あおき・たつつぐ) 昭和20年8月、堺市生まれ。43年に関西学院大を卒業し、貿易会社に就職後、44年に脱サラして地元・堺で英会話塾を開講。53年に法人化した。62年の合併で学習塾や予備校部門、平成5年の合併で社会人教育を本格化させるなど、さまざまな教育分野で幅を広げてきた。28年、社長を退任し名誉顧問に。家族は妻と二男一女、趣味はゴルフ、スキーなど。