【銀幕裏の声】戦局切迫し〝人間魚雷〟製造に…海軍魚雷試験場遺構と人気アニメの意外な接点(下) - 産経ニュース

【銀幕裏の声】戦局切迫し〝人間魚雷〟製造に…海軍魚雷試験場遺構と人気アニメの意外な接点(下)

魚雷発射試験場の遺構。屋根は落ちているが、石とレンガで築かれた塀は今もそびえ立っていた
ここが戦争の遺構だと想像できる人は少ないだろう
“廃墟と自然”が不思議なハーモニーを醸し出していた
 旧日本海軍の鎮守府が置かれていた長崎県佐世保市。その隣町、大村湾に面した川棚町の海岸に、佐世保海軍工廠などで製造された魚雷をテストする魚雷発射試験場が創設された。そこに現在も残る遺構は、まるで戦時中から時間がとまったかのような不思議な“異次元空間”だった。(戸津井康之)
アニメの名シーンにも登場
 海に突き出たL字形の魚雷発射台の正面に、塀で囲まれた遺構がある。
 「当時の資料によると、この建物跡は『空気圧縮ポンプ室』と呼ばれていた施設のようです」と、同町の戦史などを研究、語り継ぐ活動をしているグループ「川棚史談会」のメンバー、古川恵美さんが教えてくれた。
 この風景を見て、あるアニメ映画のワンシーンを想起する映画ファンは少なくないだろう。
 細田守監督のSFアニメ「バケモノの子」(平成27年)のワンシーンの背景に、実はこの情景がモデルとして使われていたのだ。
 バケモノの世界へ紛れ込んでしまった都会暮らしの少年が、この世界で生き抜くために、バケモノの師匠から、武術など格闘技を教えてもらう。その修練の場としてこの遺構の風景が登場する。バケモノの声を名優、役所広司が演じて話題を集めた。
手記が伝える発射試験
 この魚雷発射試験場では、いったいどのような試験が行われていたのだろうか?
 古川さんが、当時、佐世保海軍工廠の水雷工場に勤め、魚雷発射試験に携わった元軍人や住民住民らが綴(つづ)った手記を見せてくれた。
 《(新型魚雷の)炸薬量が500キロから1000キロに増え、その結果、頭部が重く、発射時の初期沈下のため、触底事故が続出し、その対策に苦しみました》
 佐世保海軍工廠から魚雷発射場へ出張に来たときの様子をこう綴っている元海軍男性の手記はさらに続く。
 《昭和20年に入ると戦局はいよいよ切迫して、九三式魚雷を特攻兵器の回天に改造する工事に入り…、さらに夏になると、電池魚雷を回天に改造する工事の準備に入りました…》
 戦争末期、主要な軍艦をほぼ失い劣勢に立たされた日本海軍は、無人の魚雷を有人魚雷の回天に変え、敵艦隊へ体当たりする計画を立てる。“人間魚雷”による特攻作戦だ。
 73年前、こののどかな浜辺が、第二次世界大戦の最前線にさらされていたことが、手記からうかがえる。
 《私は水雷工場に配置され、一番心臓部の縦舵機の調整に配属されました…》
 こう綴っているのは、女学生時代、女子挺身隊の一員として魚雷の製造工場で働いていた女性だ。
 ある日、上司に呼ばれ、同僚3人とで、魚雷発射試験場へ出張した様子が綴られている。
 《弁当持参ということで、遠足のように心弾ませ出勤…。私たちが調整した魚雷が、どのように発射されるのかを見学しました。高い望楼の上に登り、双眼鏡で魚雷の行方を見つめました。
 ドン! 第一標的無事通過、ホッ! 第二標的まで後わずか。アッ! 魚雷が天に向かってポコンと躍り上がった。そしてボチャン! アーアー…。
 昼食のごちそうがのどを通らなかったことを記憶しています…》
 この女性が魚雷の行方を見守った望楼の跡が今も残っている。
 発射台がある突堤の浜辺から見える最も高い丘の上へと登っていくと、その頂上にコンクリート製の2階建ての観測所跡にたどり着く。ここで双眼鏡などを使って魚雷の航跡、速度などを計測していたという。
忘れてはならない記録
 第二次世界大戦末期、空襲にさらされた軍港があった呉市へ嫁ぐ若いヒロイン、すずの声を女優、のんが演じて大ヒットしたアニメ「この世界の片隅に」では、すずの嫁ぎ先の家族が呉工廠で働き、市民の日常生活が、いかに戦争と直結していたかが丁寧に描かれていた。
 魚雷発射試験場が間近にあった当時の川棚町民が、日常の暮らしで戦争とどう向き合い、生きていたかが、当時、学生だったこの女性の手記などから臨場感豊かに目の前に甦(よみがえ)ってくる。
 女性の手記はこんな一文で終わる。
 《あの苦しかった大戦時中の学生生活、しかし今になって振り返ると、私にとって何よりも何よりも楽しかった生甲斐(いきがい)のあった、そして思い出深い青春のひと時のように思えるのです》
 観測所の上から大村湾の穏やかな海面を眺めていると、心地よい潮風が顔に吹きつけてきた。発射台のあった突堤の上を見ると、若い釣り人が2人、仲良く釣り糸を垂れていた。
 先人たちの流した汗と涙の礎の上に、現在の日本の平和があることを改めてかみしめた。