【関西経営者列伝】「現状に満足するな」挑戦の社風 ナカバヤシ・辻村肇社長(1) - 産経ニュース

【関西経営者列伝】「現状に満足するな」挑戦の社風 ナカバヤシ・辻村肇社長(1)

ナカバヤシの辻村肇社長。「変化し続けるDNA」を受け継いでいる=平成29年9月、大阪市中央区の同社大阪本社(前川純一郎撮影)
ナカバヤシが1964年東京五輪に合わせて販売したロゴ入りの手帳
 かつて「フエルアルバム」やテレビ番組「新婚さんいらっしゃい!」のスポンサーとして一躍有名になったナカバヤシ。事業の多角化に積極的で、文具やオフィス家具の製造販売、印刷業のほか、近年はバイオマス発電や農業など畑違いと思えるような分野にも進出している。「変化し続けるDNAを受け継ぎ、事業拡大につなげたい」。創業家以外で初のトップとなって10年目の辻村肇社長(64)は、さらなる成長に意欲をみせている。(大島直之)
先を読む経営力 2代目に学ぶ
 ナカバヤシには常に新しいことへの挑戦を求め、それを尊ぶ社風がある。同時に失敗には寛容です。私も上司に「辻やん、しゃあないやん。次どうなるかや」と慰めてもらった経験があるし、だからこそチャレンジできるんですね。この伝統を私も大切にしている。「今まで通りではおもしろくない」と考えるし、逆にやらないことを叱るようにしています。
 創業は大正12年4月。中林安右衛門が大阪市で雑誌の合本や図書修理を手がける「中林製本所」を開いたのが始まりです。創業者は見習工から独立した職人で、この年の9月に関東大震災が起き、東京などからの発注が増えたそうです。
 今の当社の原型は、創業者の次男、滝本安克(やすかつ)が築きました。戦後の昭和26年に会社を再興し、41年間にわたって社長を務めた。設立時の資本金は50万円ですが、当日昼の段階でも金策に駆け回り、ようやく夕方に融資が受けられることになってスタートが切れたという逸話が残っています。
 《昭和51年に入社した辻村氏は、安克氏からさまざまな教えをくみ取った》
 事業意欲が旺盛で、アイデアにあふれ、決断力に優れた人でした。まだ家内制手工業的な製本所が主流だった時代、年商と同じくらいの資金を投じ、米国製の機械を買った。全国の大学図書館からの製本・補修を一手に引き受けるのが狙いでしたが、これが当たった。いち早く機械化したことでコストパフォーマンスで優位に立ち、この分野で国内シェア7割を取ることにつながりました。
 ただ、大学図書館からの受注は年度末や夏休み期間に集中し、そのほかは閑散期になる。何か新しいことをと考えた末、昭和34年からは手帳の製造販売を始めました。当時は営業力のある専務もいたそうで、1964(昭和39)年東京五輪に合わせて五輪マークの入った手帳を出す権利が取れ、同じ年に大手自動車メーカーから企業手帳の発注を受けることもできた。おかげさまで、企業手帳は今も年間千数百万冊の注文をいただいています。
「フエルアルバム」 時流に乗りヒット
 《昭和43年に発売したフエルアルバムも、安克氏が考案した》
 手帳も軌道に乗りましたが、製本・補修事業と同様、受注時期に偏りがある。年間を通して売れる物をとたどりついたのが、写真台紙のフィルムをはがすだけで簡単に貼れ、なおかつ台紙を増やせるフエルアルバムです。当時のアルバムは面倒なのり付けが必要だったり、写真が1冊のアルバムに収まりきらなかったりする難点がありましたが、これを一気に解消した画期的な商品でした。
 安克さんは次男がラジオのアンテナを伸ばしたり縮めたりしているのを見て、フエルアルバムのアイデアを思いついたそうです。ちょうど高度経済成長期で、カメラが普及し、レジャーが浸透する時期と重なって大ヒットした。台紙が増えるという機能をそのまま商品名にしたこともインパクトがありました。
 私も、安克さんから常々挑戦することを求められました。年度末の取締役会では「お前ら、今年何をしたか、端から言うてみい」と全役員に迫った。現状に満足するなというメッセージだったと思うし、私もこの精神を引き継いでいます。
 つじむら・はじめ 昭和28年11月、大阪府生まれ。51年、京都外国語大卒業後、ナカバヤシに入社。主に営業畑を歩んだ後、堺工場長、取締役、常務、専務を経て、平成21年4月に社長に就任。M&A(企業の買収・合併)を積極的に行うなどして、業績を拡大させてきた。家族は妻と二女。趣味は登山、サッカーなど。