【関西の議論】住民が消えた村、兵庫・新温泉町の無人集落…過疎化を象徴、時が止まった地区 - 産経ニュース

【関西の議論】住民が消えた村、兵庫・新温泉町の無人集落…過疎化を象徴、時が止まった地区

集落の家屋は廃屋同然だった
今冬の大雪で集落全体が雪に覆われた(2月1日撮影)
集落の入り口付近には元分教場の木造校舎があった
 過疎化と高齢化が進む兵庫県北部の新温泉町に、住民が消えた「無人集落」が出現した。山間にある桧尾(ひのきお)地区。4年前までは2世帯2人が生活していたが、高齢になり、相次いで亡くなった。行政上の地区名は残り、民家も幾つか残るが、無人の集落は時が止まったかのようだ。
明治期は100人規模の集落
 桧尾地区は町役場から東南約10キロの山間部にあり、合併前の旧温泉町史などによると、かつては林業や養蚕が盛んで、明治22年には16世帯計110人(男性56人、女性54人)が住んでいた。
 戦後の養蚕業の衰退や生活の不便さもあって、昭和50年代には集団移転で一部住民が別の地区に移り住んだ。平成26年までは2世帯(2人)が生活していたが、いずれも亡くなり、無人集落となった。
 29年版「新温泉町統計要覧」の「地区別世帯数、人口」(昨年10月1日現在)では、町全体115地区のうち桧尾地区だけが人口、世帯数とも「0」となっている。
但馬地方でも有数の豪雪地帯
 取材のため今年2月1日、その桧尾地区に車で向かった。この時、県北部は大雪。山間の一帯は但馬地方でも有数の豪雪地帯で、主要県道から同地区に通じる道路は除雪が行われていたものの、隣の大きな集落の熊谷地区から桧尾地区へは車1台の通行がやっとだった。
 あまりに雪深く、視界も悪いため結局、集落手前で引き返した。桧尾地区には無人となった民家が幾つか残るが、高台の道から見える数棟の民家は雪に埋まったままで、不便な生活を続けた住民の冬場の大変さを実感。眼前の光景は過疎地区の厳しい現実を物語っていた。
定期的に巡回
 同地区は、27年3月から美方署井土駐在所勤務となった柴垣孝介巡査部長(33)が、定期的にパトロールしている。
 巡回日にあたる今年3月13日、柴垣さんに同行し改めて同地区を訪れた。この日は春本番を思わせる陽気で、道路や集落内の雪はほとんど消えていた。山間ののどかな光景が広がったが、それとは対照的に、現れた家屋は屋根や土壁が崩落し、大半は廃屋同然だった。
 集落の入り口付近には、大雪の先日は気づかなかったが、老朽化した木造2階建ての建物があった。昭和3(1928)年に熊谷小学校の桧尾分教場として設置された校舎跡で、42年まで使われたという。
 旧温泉町史には「校区の中でもとくに桧尾は距離が遠く、その上悪路、加えて冬季が長く到底通学ができないので明治25年に就学が免除された」と記されている。現存する校舎跡が、過疎化の時間を刻んでいた。
地区名はそのまま
 「無人集落」とはいえ、地区名は今もそのままで、かつての住民の出入りもみられる。集落の一角には地区出身者が畑で野菜を作り、畑をシカ防除のネットで囲っている。また、山の斜面には集落の墓が並び、関係者が墓参に訪れている。
 柴垣さんは「初めて来たときは、(誰も住んでおらず)不気味でした」と話す。国政選挙の時は、同地区にも選挙ポスターの公営掲示板が設置され、選挙期間中は「ポスターに異常がないか」と、何度もパトロールしたという。
無人集落に苦慮
 今回も足元に注意しながら、民家や周辺に不審者がいないかを注意深く見て回った。廃屋があれば、警察は不審者の出入りを警戒する必要がある。柴垣さんは「人が住まなくても、家がある以上、巡回は続けます」と話す。
 来冬も大雪になれば、町が委託した除雪車が集落までの道を除雪する。町は「無人でも、桧尾の地区名を廃止する予定はない」としている。
高齢化率38・4%
 国勢調査によると、新温泉町の世帯数は昭和45(1970)年(当時は浜坂町、温泉町)が5413世帯(人口2万2961人)で、平成27(2015)年は5291世帯(同1万4819人)。45年間で世帯数はほぼ横ばいだが、人口は約8千人減った。65歳以上の高齢化率(29年2月現在)は38・4%で、県平均(27・5%)を大きく上回り、県内では佐用町39・3%、香美町39%に次いで高い。
 新温泉町では過疎化と高齢化が進み、空き家が増加する一方で、山間部では高齢者だけの地区が増える傾向にある。町は町外からの定住や移住の受け入れに取り組んでいるが、決め手に欠ける。
 西村銀三町長は「集落の人口が10人以下の地区には強い危機感を持っている。住民の支援に力を入れたい」と話している。