【関西の議論】わずか1・3%!大阪市の「ゼブラバス」人気投票1位の秘密は… - 産経ニュース

【関西の議論】わずか1・3%!大阪市の「ゼブラバス」人気投票1位の秘密は…

6本の白いしま模様と赤い帯が特徴の復刻ラッピングとなったゼブラバス=大阪市北区
6本の白いしま模様と赤い帯が特徴の復刻ラッピングとなったゼブラバス=大阪市北区
ゼブラバスの車内で掲示されているレトロ風ポスター
 大都市・大阪を縦横無尽に走る大阪市バス。今年4月に民営化され、「大阪シティバス」と名称は変わるが、市民はもちろん観光や仕事などで大阪を訪れた人も、緑のラインが入ったクリーム色のおなじみの車体を目にしたことがあるだろう。そんな市バスに、“超レア”なデザインがあることはご存じだろうか。昭和30~40年代に活躍したデザインを復刻した通称「ゼブラバス」。約半世紀前のデザインながら、昨年度実施された人気投票では堂々の1位を獲得したほどだ。なぜそんなに人気なのか。理由を探ってみると、市交通局の計算と、大阪の成長とともに駆け抜けてきた市バスの歴史が浮かび上がってきた。(杉侑里香)
まさに神出鬼没
 2月のある日。大阪市内の幹線道路沿いを歩いていると、濃い緑色に白いしま模様と赤いラインが入ったレトロ風の見慣れないバスが走ってきた。
 「観光バスかな?」と思ったが、近づいた車体には大阪市の市章である「みおつくし」のマークが。電光表示板には路線番号や行き先が書かれており、市バスだと気づいた。
 大阪市交通局に尋ねてみると、明治36年の路面電車(市電)開業以来の市営交通110周年を記念し、平成26年にラッピングバスとして復刻、運行を始めたデザインなのだそうだ。「珍しいほうが話題を呼びそう」と市内7営業所に1台ずつのみ、計7台を配置した。
 ゼブラバスの噂は広がり、熱心なファンからは「どこを走っているんですか」という問い合わせもあるというが、他のバスと区別せずに日ごとの各営業所の運行計画に組み込んでいるため、「いつどこに現れるかは分かりません」(市交通局担当者)。市交通局のバスは全530台。保有率1・3%という希少価値が、人気を押し上げているようだ。
 外観だけでなく、その内装も特徴的だ。
 市バスの歴代の車体を紹介するポスターや昭和30~40年代をイメージしたレトロな広告が貼られた車内はどこか懐かしい雰囲気が漂い、いつもと違った乗車体験を楽しめる。これも人気の要因だろう。
赤い帯は大阪発のワンマンカーの証
 ではなぜ、復刻ラッピングにゼブラバスが選ばれたのか。担当者は「市バスの歴史の中で欠かせない存在だからです」と説明する。
 歴史をひもといてみると、ゼブラバスの原型は、かつて市営交通が運行していた観光バスだ。昭和29年に8本のしま模様を入れたデザインを採用したところ好評だったため、32年以降は市内を走る路線バスにも同様のデザインを導入。そして、さらなる改良版として34年に登場したのが、復刻ラッピングとなったゼブラバスだ。
 ベースとなる車体色を緑にし、白いしま模様を6本に減らした上で窓の下に赤い帯が入っているデザイン。この帯は当時、大阪市が先進的に取り入れた「ワンマンカー」を示すものだったという。
 現在では運転手1人での運行が当たり前の路線バスだが、かつては運転手と、主に女性が務める車掌の2人一組による「ツーマンカー」が主流。そんな中、昭和26年に全国で初めてワンマンカーでの運行を始めたのが大阪市だった。
 戦後の復興が加速していた当時は、郊外から大阪都心へ通勤する人々が急増。バスの終発時刻の延長を求める声が強く上がる一方で、当時の労働基準法で女性車掌の深夜勤務は制限されており、対応を求められた大阪市は運転手1人で運行できるように車体を研究・改造。車掌が担うドアの開閉や料金の支払いなどを機械化することで、ワンマンカーを実現させた。
 ゼブラバスが導入された当時はワンマンカーと従来のバス(ツーマンカー)が混在。車体を区別するためにワンマンカーには赤い帯が入れられ、先進的な取り組みを示す証ともなった。
かつてバス全盛期の象徴…人気は今も
 ゼブラバスが活躍した昭和30~40年代は、大阪市でのバス全盛期といえる時代だ。市営交通の出発点である路面電車から代わって公共交通の主役となり、ピークの昭和40年代前半の保有車両数は現在の4倍近い約1900台。大阪の街中をゼブラバスが駆け抜けた。
 45年の国際博覧会(万博)の開催と重なって経済も右肩上がりの明るい時代。多くの通勤・通学客の足として利用され、正式名称ではない「ゼブラバス」という愛称も自然発生的に定着した。
 担当者によると、約90年の市バスの歴史でも愛称のあるバスはほとんどないといい、「それだけ多くの人の思い出や印象に残っているのでしょう」と語る。
 しかし、時代は移ろう。自家用車の普及によるモータリゼーションの到来に伴い、都心部での慢性的な渋滞状態が社会問題化。渋滞批判の的になった路面電車の廃止(44年)に続いて、40年代後半には大量輸送、定時運行性で優れる地下鉄網が一定整備されたことで、バスの運行数も徐々に減少していった。
 やがて、50年代には車体のデザインも現在のクリーム色に緑のラインが入ったバスに近いものへ変更が進み、ゼブラバスとバスが主役の時代は同時期に終わりを迎えた。
 それから時間が経過し、3年前に復刻ラッピングとして復活したゼブラバスは当時を知る人々からは懐かしく、また知らない人々にとっては新鮮なデザインとして迎えられ、再び愛される存在となった。ハンカチや模型などのグッズ展開のほか、平成28年12月から翌年1月に交通局が実施したバスの人気投票では、544票中116票を獲得して堂々の1位に。根強い人気ぶりを見せつけた。
 さて、ファンにとって気がかりなのは、ゼブラバスの今後の行方だろう。民営化の影響で無くなってしまうのでは、という声も上がるが、安心してほしい。交通局によると「民営化だからといって運行から外す予定は今のところありません」。見かけた際にはぜひ乗車して、市バスの歴史を感じてみるのも楽しそうだ。