全国の芸舞妓が一堂に ニューヨーク公演も成功…花街復興・お座敷文化継承へタッグ

関西の議論
花街復興をめざす菊乃さん(右端)ら元林院の芸舞妓=奈良市内

 奈良市の花街「元林院(がんりいん)」で奮闘する芸舞妓(まいこ)らがお座敷文化の衰退を憂い、全国に参加を呼びかけた「花街復興イベント」が広がりを見せている。各地の芸舞妓が一堂に会し、舞台や宴席で共演する画期的な試みだ。昨年秋には米ニューヨークでも開催され、来月には奈良市で3回目のイベントが控える。旗振り役となった元林院の芸妓、菊乃さんは「花街が垣根を越えてつながることで、お座敷文化を継承していきたい」と意欲を燃やしている。(岩口利一)

知られざる花街

 興福寺五重塔が望める猿沢池西側の狭い通りには、古い町家が並び、しっとりと落ち着いた風情が漂う。観光客に人気の散策スポット「ならまち」に含まれるこの界隈(かいわい)が、かつて古都の花街として名を馳(は)せた元林院だ。

 最盛期の大正から昭和初期には200人ほどの芸舞妓がおり、京都・祇園にも引けを取らないほど華やいでいたとされる。

 大正時代には、節分に真榊(まさかき)を春日大社に奉納する行事を開始。街の繁栄を願って芸妓らが華やかに練り歩き、沿道は多くの見物人で埋め尽くされたという。だが、行事はやがて途絶え、戦後になると社会情勢の変化に伴って客足が遠のいていき、芸妓の数も減少。現在は「奈良町芸者」として活躍する菊乃さんら数人が、花街の灯を守っている。

 大阪市生まれの菊乃さんは約30年前、お茶屋を経営していた叔母から誘われ、この世界に入った。奈良の老舗料亭「菊水楼」で舞妓としてお披露目した後、「艶っぽい踊りをやりたかった」と憧れていた芸妓になった。だが、近年はお座敷が減って寂しさを募らせ、後進の育成にも悩む日々が続いていたという。

全国20以上の花街が手を携え

 にぎわいを失った花街を再び盛り上げようと数年前に思い立ったのが、かつて元林院の芸舞妓が披露した舞踊興行「大和をどり」の復活だった。だが、単独では人手が足りず、全国に復興イベントへの参加を呼びかけることになった。

 元林院のみならず、不況の影響でお座敷が減り、後継者不足にあえぐ地方の花街は後を絶たない。そうした中、平成28年2月、全国8カ所の花街で活躍する芸舞妓が奈良に集結し、共演するイベント「ならまち花あかり」が実現。2回目の開催となった昨年2月は花街の参加数が12に増え、来月24、25の両日には3回目の「花あかり」が実施される。

 今回は、京都や石川、福井、愛媛、福岡など20を超える花街から芸舞妓が集う予定で、お座敷文化を後世に伝える「サミット」を開くことも決まっている。

 各地の花街は、後継者不足や若い芸舞妓をいかに育てるかといった共通の悩みを抱えているといい、「この世界に憧れる人は結構いるが、受け入れる側のシステムにも課題がある。横のつながりがほとんどない中で、問題について話し合う場になれば」。菊乃さんはそう思いを込める。

 1月から奈良町芸者としてスタートを切った菊亀さんは「他の街のおねえさんとご一緒できるので、いろんな文化を勉強できると思う」とイベントを待ちわびている。

拡大する輪、海外にも

 フェイスブックなどのSNS(会員制交流サイト)を通じ、志を同じくする芸舞妓の輪は拡大。菊乃さんらの活動に触発され、昨年10月には一般社団法人「福井・浜町芸妓組合」(福井市)などが花街活性化を目指し、「花あかり ふくい」を地元で開いた。同組合の芸妓、もも子さんは「奈良のイベントに参加し、福井でもできないかと考えた。お客さまに好評で刺激になった」と話す。

 福井市内には明治から大正ごろにかけ、数百人にも上る芸妓らが活躍していたとされるが、次第に減少。現在は数人しかいない。もも子さんは「地方の花街はどこも同じような事情を抱えている。それぞれが特長を出すことで、何とか活性化できれば」と力を込める。

 花街復興イベントの仕掛け人、菊乃さんが次に視線を向けたのは海外だった。昨年10月、ニューヨークで初の海外公演を成功に導き、今年も第2弾を開く意向を示している。「和食は海外にも伝わっているが、芸舞妓によるおもてなしの文化はあまり知られていない。ぜひ伝えたい」と使命感に燃える。

 こうした活動について、京都花街研究で知られる京都女子大の西尾久美子教授は「多くの花街で後継者の育成がうまくいかず、街を支えてきた人たちも減っている。菊乃さんは地域を超えて花街をつなぐ役割を果たしており、イベントは各地方の芸舞妓が抱える課題について情報交換する場にもなるだろう」と話している。