レイテ沖海戦の証言者(下) 沈みゆく最上に「敬礼をして見送り…」 元乗員が見た“史上最大の海戦”

銀幕裏の声
加藤さんは水上偵察機「瑞雲」に爆弾を搭載し出撃したという

 昭和19年10月、フィリピンのレイテ島周辺海域で繰り広げられたレイテ沖海戦。この史上最大規模の海戦に“囮(おとり)部隊”として参戦した重巡洋艦「最上(もがみ)」に乗艦していた元海軍零式水上偵察機(零式水偵)搭乗員、加藤昇さん(95)は奇跡的に生還した。だが、日本海軍にとって“最後の艦隊決戦”と呼ばれるほど、その戦いは過酷だった。日本海軍の戦艦や空母など主力艦はほぼ全滅。加藤さんの乗艦した最上は、米艦隊や米機の攻撃による撃沈は免れたものの“壮絶な最後”を迎える…。 (戸津井康之)

最上の最後

 「そのとき敵艦隊の姿は見えませんでした。残っていたのは『時雨(しぐれ)』と『最上』…。味方の艦隊も撃沈し、ほぼ全滅していたのです…」

 駆逐艦「時雨」は、ミッドウェー海戦、マリアナ沖海戦など数々の激戦から生還してきたことから、米国の海事史研究の歴史家、サミュエル・モリソンが“不沈艦”と命名した軍艦だ。

 ようやく最上の操舵装置が復旧。護衛にきた駆逐艦「曙」とともに退避しようとしたが、米軍の空襲に遭う。遂に最上は航行不能となり、総員退去命令が出される。加藤さんは士官として艦内を見回り、残された部下を探し、声をかけて避難させると、最後に自分も海に飛び込み曙に乗り移ったという。

 航行不能となった最上には曙から魚雷が撃ち込まれた。米軍による撃沈をかろうじて逃れた最上だったが、最後は味方の手で沈められたのだ。

 「救助された乗員たちは敬礼をして沈んでいく最上を見送りました。ともに過ごした最上が沈んでいく…。感傷的な思いが沸き起こるとともに、艦内に残してきた戦死者や重傷を負った兵士たちのことを思うと涙が込み上げてきました」

水上機での爆撃

 最上の生き残った乗員たちを乗せた曙はマニラへ到着。加藤さんたち水上機の搭乗員たちはマバラカットの飛行場へと移動した。しかし、水上機乗りに休息している暇などなかった。

 「貴様は水上機乗りだから水上偵察機『瑞雲(ずいうん)』へ乗れ!」。マバラカットに着いた加藤さんは上官にこう命じられ、フィリピン北部のキャビテ(カヴィテ州)の基地へと転戦する。

 ここで瑞雲の機長となった加藤さんは米輸送船団などを爆撃する任務に就いたという。

 「250キロ爆弾を積んで何度も出撃しました。たいてい7~8機で出撃するのですが、多くが撃墜され、2~3機のみで帰ってくることも少なくなかったですね」

 瑞雲は複座型。後部座席に乗った機長の加藤さんが、風の流れを計測し、爆撃照準機をのぞき込む。  「“よーい、てっ(撃て=発射)”と号令をかけて爆弾を投下するのです」  米軍機に追われることもあったが、機長の加藤さんは「右!、左!」と前席の操縦士に指示。高速の瑞雲は急降下しながら雲の中に入り、追撃を振り切ったという。

 加藤さんは出撃の度に敵輸送船を撃沈し、何度も表彰を受けた。しかし、あるとき1機だけで生還した加藤さんに上官はこんな言葉を浴びせた。「貴様は本当に爆撃に行っているのか?」と。

 このとき一緒に基地へ帰還した搭乗員は後に特攻で戦死したという。

特攻隊の基地へ

 太平洋戦争末期の20年に入り、加藤さんは鹿児島県の鹿屋海軍航空隊へ配属される。映画「永遠の0(ゼロ)」の舞台にもなった特攻隊の出撃基地である。

 中尉となった加藤さんは、同基地で「多くの特攻隊員たちを見送りました」と言う。

 その後、航法訓練教官として大井海軍航空隊へ配属された加藤さんは予科練習生の指導に就き、8月15日に終戦の日を迎えた。

 だが、士官だった加藤さんは部隊解体後も基地の残務整理のために残り、京都へ帰郷したのは翌21年1月だったという。

 京都へ戻った加藤さんは就職するために、もう一度、大学を受験し直すことにした。「今度は関西大学に通うことにしました」

「死ぬまで勉強」、尽きぬ向学心…

 レイテなどで命を懸けて戦った海軍士官の加藤さんでさえ、復員後の生活は困窮し壮絶な苦労を重ねてきたのだ。しかし、そんなつらさを微(み)塵(じん)も感じさせない快活さで加藤さんは、その後の人生を語ってくれた。

 「当時、戦地から帰還し、大学生に戻る元軍人は多かったんですよ。その中には海軍兵学校や陸軍士官学校出の秀才も少なくなかった」と語る加藤さんは立命、関大と大学を2回卒業しているが、現在も「高齢者学」を学ぶため、京都市の市民講座や大学などで講義を受けているという。

 戦争の最(さ)中(なか)、繰り上げ卒業をさせられ、学びたくても満足に学べなかった加藤さんたち元兵士の旺盛な向学心に、平和な時代に生きる現代の日本人が忘れてしまった大切なもの、学ぶべきことは多い。

 「死ぬまで勉強ですからね」と語る95歳の加藤さんの明るい笑顔に、心底そう痛感させられた。

 =おわり