「こんなときだからこそいつも通りに祭を」安泰祈念し、天領・日田の歴史刻む祇園祭、22日から

九州北部豪雨
日田祇園祭に向けた準備が進む豆田下町地区の山鉾=16日、大分県日田市

 大分県日田市で22、23の両日、伝統行事「日田祇園祭」が開かれる。今月初めの記録的豪雨から2週間。市内は甚大な被害を受け、亡くなった関係者もいる。「自粛」の声も上がるが、祇園祭は疫病や風水害を払い、安泰を祈る神事。関係者は「こんなときだからこそ、いつも通りにやろう」と、準備に力を入れる。(高瀬真由子)

祭どころではないが…

 江戸時代の街並みが残る観光地・豆田町。猛暑日となった16日、汗をぬぐいながら山(やま)鉾(ぼこ)に人形を乗せる男たちがいた。

 「今年は、みんな出てくるわけにはいかん。なんとか、本番に間に合えばいいが」。豆田下町山鉾振興会の波多野平会長(71)は厳しい表情で、作業にあたった。

 豆田下町は花月川の氾濫で、85戸のうち60戸が床上浸水などの被害を受けた。被災した住民は、片付けに追われる。波多野氏も経営する店舗が浸水し、再開できていない。

 波多野氏は「くたびれるし、少し休みたいという気持ちもある。でも、大変な中、祭りに多くの人が寄り合い、頑張ってくれる。励みになる」と話した。

亡くなった消防団員・山本さんを悼み

 日田を盛り上げる祇園祭は今回、特に注目を集めていた。昨年、曳山行事が国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産に登録されたからだ。

 今年5月、登録された九州4県の山鉾が一堂に集まるイベントが福岡市内であった。日田の山鉾は、歌舞伎などの名場面を題材とした人形が乗り、絢爛(けんらん)豪華さを特色とする。

 「豪華で見応えがある」「当日も見に行きたい」。日田の関係者は、見物客にこう声をかけられた。「頑張らないかん」と本番へ気合を入れていた。

 祭りムードが高まる7月5日、豪雨が襲った。

 日田市内では3人が死亡、約250件の建物が被害を受けた。ボランティアも入り、復旧への取り組みが続く。

 「祭りどころではない」。そんな声も確かにある。主催の日田祇園山鉾振興会は、地区の代表者らと対応を協議した。

 山鉾が集まる「集団顔見せ」は中止としたが、祭りそのものは、「やるのは当然」と一致した。

 祇園祭は平安時代、疫病の流行を抑えようと始まり、各地に広がった。災害時こそ、人々は祭りで、いやな気を振り払おうとする。

 祭りを通じ、地域は結束する。山鉾を組み立てる作業には、町内外から男たちが集まる。

 「作業には町外の若い人も手伝いに来てくれている。山でつながっているから、被害が起きても助け合うことができた」。店や自宅が被害を受けた豆田町の自営業、渡辺勝雄さん(72)は、こう語った。

 豆田下町地区の巡行には、同市小野地区で亡くなった消防団員、山本岳人さん(43)も携わっていた。

 山鉾に乗せる人形を手掛ける日田唯一の人形師、長嶋静雄さん(61)は「山本さんのことが、頭から離れない」と、その死を悼む。それでも「願いは災害からの復興。祭りに向けて懸命に取り組んでいる人をみると、元気が出てくる様子が分かる。無病息災の思いを込めて、一致団結したい」と強調した。

江戸時代、日田に赴任してきた代官の助言で現在の形に

 日田は、福岡・熊本両県に接し、北部九州のほぼ中央に位置する。古来、交通の要衝であり、江戸時代は幕府の直轄地「天領」として、政治、経済の中心地となった。

 日田祇園祭の現在の形は、江戸時代にさかのぼる。杉の葉枝などを使い、幕で飾った曳山をかついでいたと伝わる。日田祇園山鉾振興会の後藤稔夫会長(95)によると、各地の天領を回り、日田に赴任してきた代官の助言で、車が付いた現在のような形になった。よく似た山鉾が、愛知県半田市の亀崎地区にあるという。

 後藤氏は「山鉾の形は、天領だった日田の歴史を伝える。幼いころから参加しているが、熱気は変わらない。みんな祭りが好きで、やらないといけないというのが大きい。水害の後なので、一層元気を出し、これ以上の災害がないように祈りながら、祭りをしたい」と語った。

 日田祇園祭 豆田八阪神社・隈八坂神社・竹田若八幡宮の祭礼行事。約300年の歴史がある。山鉾は豆田4基、隈・竹田4基、平成山の計9基。祇園囃子の音色とともに市内を巡行する。平成8年、国の重要無形民俗文化財指定。28年、「日田祇園の曳山行事」として、ユネスコ無形文化遺産登録。