これは現実か 未曾有の豪雨被害、「故郷なくなった」あきらめの声も…被災地を取材して

九州北部豪雨
道路が崩れ、死者や行方不明者が出た集落にはたどり着けなかった=12日、福岡県朝倉市

 道路は泥だらけで一部が崩れ、水田は泥水に覆われ、そこら中に流木が積み重なる。これは現実なのか…。言葉を失った。福岡、大分両県を襲った九州北部の豪雨の被災地に、今月10~13日、取材班の一員として入った。災害の恐ろしさを実感した。(大津支局 北野裕子)

 10日昼、最も多くの犠牲者、行方不明者が出ていた福岡県朝倉市内に入った。車で、大きな被害が出た集落に取材に近づこうと思っても、道がない。

 取材に入っている間は、豪雨があったとは思えないような晴れや曇りの日が続いた。しかし気温は高く、風のほとんど吹かないときはとにかく蒸し暑い。避難所となっている体育館などは、はじめはクーラーがない所も多く、ただでさえ不安な生活を送っている被災者が、顔に汗を浮かべ、疲れ切った表情をして、耐えているようだった。

 豪雨が山肌を押し流し、むき出しになった茶色い地肌を見た小学6年の男児(11)が「また雨が降ったら崩れそうで怖い。いつ帰れるのかな」と、ぽつりとつぶやいた。

 同市杷木志波、山間部のある集落では、12日、行方不明だという母(86)の無事を祈る女性(60)と出会った。

 「連れていってあげるわ」。女性は、集落に向かう道がわからなくなっていた私を、車に同乗させてくれた。残念ながら、道路は途中で半分近く崩れ、通行止めになっていた。泥水が流れる川の向こうに数軒の家が見えるが、たどりつくのは難しそうだ。

 「もう諦めてるの」。女性は話した。濁流が襲う約1時間前、強い雨を心配し、自分の家に避難するよう電話で促したが、母は「大丈夫よ」と話したという。その後母の行方は分からなくなり、14日午後5時の時点で不明のままだ。

 その集落は、女性が生まれ育った場所だったという。「自慢の母だったの。でも、母も故郷もなくなってしまった」。そのとき、終始笑顔を絶やさなかった女性の瞳が濡(ぬ)れていることに気付いた。

 今回、取材に訪れた地区では、高齢の住民から「こんな雨も被害も初めてのことだ」-という言葉を何度も聞いた。避難できた人に「どうして助かったのか」と聞いても、「たまたま出かけていた」「間一髪だった」という答えが返ってきた。中には、「山間部に住んでいると、行政の避難情報が出たときには既に遅い」という声も聞いた。

 今回の豪雨災害を忘れることなく、何を教訓として得られるのか、人々の命や、避難者の健康を守るためには何が必要なのか、多くの人が考え続けていかなければならない。

 「もう前の所には戻れないだろう」。避難している人たちの間からは、諦めたかのような言葉が漏れた。報道する立場として何ができるのか、これからも考えていきたい。