日弁連〝訴訟不敗〟、政治闘争に「お墨付き」与えた裁判所 「自制論」ことごとく退け

弁護士会 「左傾」の要因(3)
スパイ防止法反対決議をめぐる無効確認訴訟の東京高裁判決。日弁連の政治闘争に「お墨付き」を与えた

▼(2)「北朝鮮を支援する一派の影を感じた」…から続く

 「国民に知らせたいと思った。弁護士が全部左翼と思われたら困るんでね」

 弁護士登録からおよそ60年。秋山昭八(84)=東京弁護士会=は自ら原告兼代理人となったある訴訟について、懐かしそうに語り始めた。

 日本弁護士連合会(日弁連)は昭和62(1987)年5月の総会で、自民党を中心に法制化の動きがあったスパイ防止法の反対決議を行った。秋山ら立法賛成派は反発。定足数のない当時の総会で、少数出席者によって行われた同決議により「思想、良心の自由を侵害された」として、決議の無効確認を求める訴訟を起こした。原告に名を連ねた弁護士有志は実に111人。「vs執行部」の法廷闘争が繰り広げられた。

原告完敗…日弁連「歴史的判決」

 法的論点は「法人の目的の範囲」。日弁連が何を、どこまでなすべきかという組織の存在意義にも迫るものだった。結論から言うと、訴訟は秋山らの完敗に終わる。特に2審東京高裁判決(平成4年12月)は、当時の日弁連のあり方を全面的に肯定する「歴史的判決」(日弁連五十年史)となった。

 《基本的人権の擁護、社会正義の実現の見地から、法律制度の改善(創設、改廃等)について、会としての意見を明らかにし、それに沿った活動をすることも、被控訴人(※日弁連)の目的と密接な関係を持つ》

 この判決は日弁連による反安保法運動でも正当性の根拠となり、意見削除を求めて日弁連などを提訴した南出喜久治(67)=京都弁護士会=が今年2月、1審東京地裁で敗訴した。

 「法律制度の改善」さえ掲げれば、司法から待ったがかかることはない。

高度な「弁護士自治」も理由に

 弁護士になるには必ず登録しなければならず、退会も許されない強制加入団体である以上、賛成・反対の双方に配慮し、意見表明には抑制的であるべきではないか-。こうした自制論は保守系弁護士を中心にしばしば主張され、何度も訴訟になった。だが、日弁連はことごとく勝利し、司法がいわば政治闘争の「お墨付き」を与えてきた。

 あくまで法人としての意見表明であり、特定の思想を個々の会員に強制するものではない-というのが一つの理由。もう一つ、国家機関から独立した高度な「弁護士自治」が認められていることが、日弁連不敗の主な理由だ。

 例えば日弁連会費の増額決議に反対して起こされた訴訟で、裁判所は弁護士自治に言及し「日弁連の議決が相当であるか否かについては司法審査の対象とすることはできず、裁判所は議決が適正なものとしてこれを尊重しなければならない」(昭和63年2月の大阪地裁判決)と述べている。

 ただ、忘れてはならないのは、意見表明は外に向けて発信されることだ。受け手からすれば、かつて「何でも反対」と揶揄(やゆ)されたように、日弁連の意見は常に一方向のイメージであり、内部の考え方の違い、議論の過程が見えない。

「左右でなく上下に分裂」と予言

 スパイ防止法訴訟が起きたころ、法曹人口拡大をめぐっても日弁連を二分する論争があった。両派の対立を調停する形で、一連の司法改革を進めたのが「平成の鬼平」といわれた故中坊公平=平成25年死去=だった。中坊は2年の日弁連会長選で当選した際、こう述べた。「最も重要なことは約1万4千人の弁護士が一致結束して仲間割れしないことだ」

 日弁連の戦後を描いた「こんな日弁連に誰がした?」(平凡社新書)の著者がある弁護士の小林正啓(54)=大阪弁護士会=は、中坊が「左右の思想対立を統合する役割を担った」と評価する。司法改革は結実して弁護士人口は今や4万人に迫り、昨今の対立軸は思想ではなくなってきたと分析する。

 日弁連の反安保など政治闘争路線に反発を覚える弁護士は若手になるほど多いとされる。それはイデオロギーというよりも、「高い会費を無駄に遣うな」という経済の問題だという。

 小林は「これからの日弁連はかつてのような左右ではなく、上下に分裂していく」と予言する。日弁連は勝訴の上に安住していられるだろうか。(敬称略)

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 【用語解説】強制加入団体

 業務を行うための名簿登録を法律により義務づけている団体。弁護士の場合、入会しようとする各地の単位弁護士会を通じて、日弁連への名簿登録が必要となる。司法書士、弁理士、税理士、公認会計士、行政書士なども強制加入制だが、それぞれ省庁や都道府県が監督権・懲戒権を持っている。完全な自治権が認められているのは弁護士会のみ。