五輪、あのころの
東京といま

1964年10月に行われた東京五輪。産経新聞のカメラマン数十人が撮影した写真は現在すべてがデータ化され、会社に保管されている。枚数は約20万枚。同じ場所を探し出してカメラを構えた。現在と比べると、当時の東京の「非日常」と「熱狂」が伝わってくる。2度目の東京五輪は23日に開幕する。

1964年から2021年
―移り変わる街―

スクロールで写真が
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国立競技場

【1964年】開会式で入場する日本選手団。選手355人(男子294人 女子61人)

【2021年】開会式が行われる国立競技場。日本選手は582人(男子306人 女子276人)に

神宮外苑

【1964年】開会式を前に、神宮外苑いちょう並木には選手輸送のバスが連なった

【2021年】いちょう並木は今も変わらず深い緑をたたえている

銀座4丁目

【1964年】外国人らでにぎわう銀座4丁目交差点付近。路面電車が走っていたのがわかる

【2021年】三愛ビルなどに1964年当時の面影が残る

聖火リレー・国立競技場

【1964年】聖火リレーの最終ランナーとして聖火台に向かう坂井義則さん。観客席から多くの観客が見守った

【2021年】新しくなった国立競技場の観客席。座席は5色あり「森の木漏れ日」をイメージしているという

明治神宮水泳場

【1964年】開会式が行われている国立競技場前で、聖火の到着を待つ観客ら

【2021年】国立競技場前の明治神宮水泳場跡。現在はアイススケート場になっている

新橋駅

【1964年】国鉄新橋駅前に設置された街頭テレビでマラソン中継を見る人たち

【2021年】8年後、1972年には鉄道開通100年を記念してSLが設置され、現在のSL広場となった

新宿3丁目

【1964年】男子マラソン3キロ地点、新宿3丁目付近。ランナーは甲州街道に入り、調布折り返しを目指す

【2021年】商業ビルが立ち並び多くの人や車が行き交う

幡ケ谷

【1964年】男子マラソン7キロ地点、幡ケ谷付近でロープを張る警察官ら

【2021年】現在もかつての「西谷商店」が残る

上北沢

【1964年】男子マラソン30キロ上北沢付近、京王帝都バス世田谷営業所前を通る選手ら 

【2021年】京王電鉄バス車庫前

初台

【1964年】男子マラソン36キロ初台付近では円谷幸吉選手(77番)の応援団が沿道から声援を送った

【2021年】現在は新国立劇場に変わっている

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1964年 東京五輪の
「表情」

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男子マラソン7キロ・幡ケ谷

男子マラソン7キロ幡ケ谷付近を通過する裸足のマラソン選手ら

男子マラソン7キロ幡ケ谷付近を通過する裸足のマラソン選手ら 

北朝鮮選手団

船で新潟港に到着した北朝鮮選手団

新潟から列車で上野駅に到着し、歓迎を受けた北朝鮮選手団 

代田橋

男子マラソン8キロ地点、代田橋付近でマラソン選手の通過を待つ子供たち

男子マラソン8キロ地点、代田橋付近でマラソン選手の通過を待つ子供たち

街頭テレビ

調布市のマラソン折り返し地点付近の街頭テレビに群がる市民ら

調布市のマラソン折り返し地点付近の街頭テレビに群がる市民ら

駒沢オリンピック公園

10月15日、男子バレーボール観戦のため駒沢に到着された昭和天皇ご夫妻

10月15日、男子バレーボール観戦のため駒沢に到着された昭和天皇ご夫妻

デヴィ夫人

10月9日、インドネシア、スカルノ大統領夫人(デヴィ夫人)が来日

10月9日、インドネシア、スカルノ大統領夫人(デヴィ夫人)が来日

選手収容車

リタイア選手や制限時間を超えた選手を乗せてゴールまで運ぶ収容車。当時は「落伍収容」と表記されていた

リタイア選手や制限時間を超えた選手を乗せてゴールまで運ぶ収容車。当時は「落伍収容」と表記されていた

バトンパス

10月3日、織田フィールドでバトンパスの練習をするアメリカ人女子陸上選手ら

10月3日、織田フィールドでバトンパスの練習をするアメリカ人女子陸上選手ら

東洋の魔女

10月1日、選手村を見学した女子バレーボール「東洋の魔女」の河西昌枝さん、谷田絹子さんら

10月1日、選手村を見学した女子バレーボール「東洋の魔女」の河西昌枝さん、谷田絹子さんら

カメラマン

マラソン折り返し地点で待ち構えるカメラマンら

マラソン折り返し地点で待ち構えるカメラマンら

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