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円谷さんとともに、思いつないだ メキシコ五輪銀の君原健二さん、亡き友の故郷を疾走

福島県3日目第5区間 ゴールし円谷幸吉さんの写真を手に記念撮影に応じる君原健二さん(中央左)と円谷喜久造さん(同右)=27日午後、福島県須賀川市(宮崎瑞穂撮影)
福島県3日目第5区間 ゴールし円谷幸吉さんの写真を手に記念撮影に応じる君原健二さん(中央左)と円谷喜久造さん(同右)=27日午後、福島県須賀川市(宮崎瑞穂撮影)

 福島県須賀川市で27日、聖火ランナーとして疾走した1964年東京五輪マラソン代表の君原健二さん(80)=福岡県北九州市。ユニホームの下には、ともに東京五輪で日本代表として戦い、銅メダルを獲得した故円谷幸吉さんの写真を忍ばせていた。須賀川市は円谷さんの生まれ故郷。数奇な運命をたどった友への思いを胸に聖火をつないだ。(芹沢伸生、石原颯)

 「オリンピックに出たときのように感動した。うれしかった」。須賀川市最後のランナーとして聖火を運び終えた君原さんは、すがすがしい表情でこう語った。その距離約200メートル。フルマラソンの210分の1にすぎないが、込めた思いは格別だった。

 この日の朝、君原さんは円谷さんが眠る墓を訪れ「一緒に聖火リレーを務めましょう」と誓った。円谷さんの写真とともに走ることは以前から決めていた。「私にとってかけがえのない大切な方。もし、見ていたら先頭に立って応援してくれたと思う」

 57年前、君原さんは円谷さんと東京の街を走った。メダル最右翼とされていた君原さんだが、序盤から出遅れ8位に終わった。「選手のサインを集めて回ったり、他競技を見に行ったりしていた。一方、円谷さんは最後まで調整を続けた。精神的な差が結果に出た」。3位に入った円谷さんは国民の英雄に。その後「メキシコでは金メダル」と期待を一身に背負う姿を君原さんは見てきた。

 しかし、円谷さんはメキシコ大会が9カ月後に迫った昭和43年1月、自ら命を絶つ。27歳だった。「メキシコで日の丸を揚げる。それが国民との約束だ」。円谷さんからこう聞かされていた君原さんは「責任感の強さが彼自身を苦しめたのではないか」と振り返る。

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