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柔道・井上康生監督、五輪後を見据え「最強かつ最高を目指す」

成田空港で取材に応じる柔道男子の井上康生監督=3日
成田空港で取材に応じる柔道男子の井上康生監督=3日

 “日本のお家芸”として金メダル量産という重責を背負う柔道。男子を率いるシドニー五輪金メダリストの井上康生監督は前回のリオデジャネイロ五輪に続き、2度目の指揮を執る。自らの「集大成」と位置付ける自国開催の舞台へ「大輪の花を咲かせる1年になる。常に強気で自分自身を信じて、選手たちとともに進むのみ」と並々ならぬ決意を胸に刻む。

 「大事にしていることは一日一日、一秒一秒をどれだけ全力で取り組んでいけるか。全日本の監督においては『集大成』になる。その場所が2020年の東京五輪で、これほどやりがいを感じさせてくれることはないと思っている」

 井上監督自身が「勝てば官軍、負ければ賊軍」と語るように1964年東京五輪で柔道が初めて実施されて以降、常に金メダルを求められてきた。現役時代はシドニー五輪で金メダルを獲得し、アテネ五輪で連覇を逃した経験もある。監督として「重圧や不安は当たり前で恐れていてもだめ」と受け止める。

 リオ五輪後も変革の歩みを止めなかった。その一つが早期代表決定のための選考方法。「五輪に向けて選手たちがより一層、いい準備ができる環境を作っていってあげたい。準備に必要なのは十分な時間だと考えた」。指揮官の思いも反映され、全日本柔道連盟の強化委員会は19年内と2月の欧州遠征後、4月と代表決定を3段階にすることを決めた。

 思惑とは裏腹に男子で昨年のうちに代表入りを決めた選手は出なかった。それでも、指揮官は「率直に言うなら、それほど難しいものなのだなと改めて感じた。全ての選手が五輪に本気で懸けている証拠であり、(日本男子の)層の厚さを示した結果」と冷静だ。

 東京五輪開催が決まったのは2013年9月。振り返れば、当時の日本柔道界は、同年1月に発覚した女子代表指導陣の暴力問題や助成金の不正受給など相次ぐ不祥事で信頼が地に落ちていた。柔道人口の減少はいまだ歯止めがかからない。

 「このままでは柔道がダメになると相当な危機感があった。何よりもスポーツ界、柔道界にとって大事なのは2020年以降。そこには強さだけではない理念やビジョンが必要になる。『最強かつ最高』を追求していかなければならないと感じている」(田中充)

■いのうえ・こうせい 1978年5月、宮崎県生まれ。2000年シドニー五輪男子100キロ級金メダリスト。世界選手権は1999年から、全日本選手権は2001年からいずれも3連覇。引退後、英国へのコーチ留学などを経て12年に日本男子監督に就任、16年リオデジャネイロ五輪は全階級でメダル獲得へ導いた。

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