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64年東京五輪「洋食文化のきっかけ」 選手村料理人が来年に期待

 あれから55年。のれん分けして開業した自身の洋食店のメニューに、選手村の食堂で作り方を覚えたポタージュを導入。料理の数は現在、80種類に上る。「当時の料理人は大会終了後、食堂で得た料理の知識や調理法を持ち帰った。それこそが、全国に洋食文化が広がる大きなきっかけになったと思う」と強調する。

 来年の東京大会では、被災地の特産物を使用した日本食も提供される見込み。

 「日本食を通して日本らしいおもてなしや豊かさ、おいしさを世界に伝えられればいい」。鈴木さんはそう期待を込める。

 1964(昭和39)年東京五輪はアジア初の五輪として10月10日から24日まで開催。90以上の国と地域から5千人を超える選手が参加した。当時の日本は太平洋戦争からの復興を遂げ、高度経済成長期。各地でインフラ建設工事のつち音が響き、活気に満ちていた。

 「夢の超特急」と呼ばれた東海道新幹線が開業したのは、五輪開幕が間近に迫った10月1日。当時、最速の「ひかり」は東京と新大阪を4時間で結んだ。日本初の高速道路となった名神高速もほぼ全線開通した。

 年額の平均賃金は41万400円。大人の映画観覧料は220円程度で、はがきの郵便料は5円だった。

 64年度の実質国内総生産(GDP)は106兆8千億円。経済協力開発機構(OECD)に加盟し、米国、ドイツ、英国、フランスに次いで世界5位の経済規模に。海外目的の海外渡航も自由化され、出国者数は51万人だった。

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