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【PlayBack東京1964】戦死・父の夢背負い闘志 江川嘉孝

東京五輪でのポーランド戦で、シュートする江川さん=1964年10月
東京五輪でのポーランド戦で、シュートする江川さん=1964年10月
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 ■バスケ男子 大けが乗り越え金星

 《3大会連続で出場を果たした1964年東京五輪で、16チーム中10位と健闘したバスケットボール男子日本代表。江川嘉孝は試合中、大けがを負いながら、闘志あふれるプレーでコートに立ち続けた》

 「私たちの目標は10位以内だったので、初戦のカナダ戦に勝利したときはホッとした。忘れられないのはイタリア戦。ポジションがFWの私は前半に相手選手と激突し、左太ももを強打し、救護室に運ばれて痛み止めの注射を4、5本打ったんです。それでも監督には『大丈夫です』と訴えて再びコートに立った。仲間の士気も一気に高まり、メダル候補を72-68で下した瞬間は鮮明に覚えている。

 一方で予選リーグ最終戦のメキシコ戦には悔いが残る。前半終了間際に決められた1本のシュートさえ全員で防いでいれば、メキシコに勝利し8位入賞を果たせていたでしょう」

 《60年ローマ五輪の日本は7戦全敗だった。東京で世界レベルに急接近した裏には、吉井四郎監督の画期的な改革があった》

 「61年に全国から180センチ以上の選手を50人ほどリストアップし、約3年にわたる長期強化で絞り込んだ代表が私たち12人だった。62年の初の米国遠征は驚きの連続。米国のコーチに、日本のシュートの成功率を上げる方法を尋ねると『ダンクシュートをやれば簡単だ』と。初めて見る『ダンク』に衝撃を受け、すぐに試してみたのですが、できませんでした。チームとしては、リングにより近い場所でシュートチャンスを作る攻撃に重点を置くきっかけになった」

 《競技を始めたのは中学2年の時。すでに五輪選手になることを誓っていた》

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