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【PlayBack東京1964】10月12日 待望の金1号は重量挙げ三宅義信 「男がすたる」一気に

ジャークで152・5キロを持ち上げて世界新記録を樹立し、金メダルを獲得した三宅義信=1964年10月
ジャークで152・5キロを持ち上げて世界新記録を樹立し、金メダルを獲得した三宅義信=1964年10月

 《待望の金メダル第1号は開幕2日後の1964年10月12日夜、東京・渋谷公会堂で行われた重量挙げで、三宅義信によってもたらされた》

 「自国開催の五輪は、国民が金メダルに取りつかれる。60年ローマ五輪(銀メダル)では大会後半に行われたが、東京では開会式翌日から行われ、金メダルのプレッシャーをひしひしと感じていた。試合当日は開き直っていた。自分がやってきたことを出すだけ。後は野となれ山となれと。これ以上ないほど、心と体の調整はできていた」

 《プレス、スナッチ、ジャークの3種目合計で397・5キロの世界記録を樹立。全9回の試技で一度も失敗しなかった》

 「五輪は勝つためにあるわけではなく、『より速く、より高く、より強く』がモットー。自分の限界と向き合い、正々堂々と戦う。そして皇太子さま、美智子さまの前で失敗したら男がすたると思い、(バーベルを)一気に持ち上げた」

 「両親も初めて観戦に来てくれた。開幕前の報道や応援を見て、会場に行かなければと思ったのだろう。9人兄弟を育てた家計は決して楽ではない。飼育していた豚を売って切符を買ったという。満席の会場でおやじとおふくろを見つけ、『ありがとう。今、挙げるぞ』と。プレッシャーをはね返す大きな力になった」

 《競技を始めたのは高校2年のとき。圧倒的なパワーと柔軟性で頭角を現し、ローマから五輪に4大会連続出場を果たした》

 「20歳で出場したローマは自分のことだけを考えればよかった。でも東京は違った。国民みんなの『大会を成功させよう』という思いがあふれ、私自身も海外の仲間に『日本は素晴らしいな』『お前らはすごいよ』と感じて帰ってもらいたかった。それが、スポーツを通じて世界平和を目指す五輪ムーブメントであり、誰しもが関わることのできる開催国の特権。やっぱり東京五輪は格別で、今でも強く胸に残っている」

 《来夏、東京に再び五輪がやってくる》

 「よく東京に2回も来たなと思う。だからこそ2回目の使命として、五輪があと100年続けていけるような運営を目指してほしい。目配り、気配り、心配り。そして仲間たちに『また日本へ来よう』と思ってもらえるような大会になってほしい。全ての人の記憶に残る五輪にね」(聞き手 西沢綾里)

                   

【プロフィル】三宅義信(みやけ・よしのぶ) 1939年11月24日生まれ、宮城県出身。79歳。高校2年から競技を始め、法政大在学中の60年ローマ大会から4大会連続で五輪出場。ローマで銀、東京とメキシコで金。ミュンヘンで4位。メキシコでは弟の義行も銅を獲得した。2012年ロンドンで銀、16年リオデジャネイロで銅の三宅宏実はめい。

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