アーチェリー・上山友裕 満員の会場で金メダルを

写 2020パラスポーツ
曽祖父が設立に携わった花園商店街で。「生まれ育った東大阪を『上山の町』にしますよ」と笑顔を見せた=大阪府東大阪市

 アーチェリーとの出合いは、大学に入学した春の部活見学会。おもちゃの弓矢でゲームに挑戦した。「パンッ」。1射目で風船が割れ、爽快な手応えに入部を決めた。未経験でも上達が早く、スポーツ推薦の仲間を抑え2年生でレギュラーに。関西大学リーグの優勝決定戦など、重要な試合にも出場した。

 この頃、友人から「歩き方が内股で不自然」と指摘された。充実した生活の中で体に異変が起きていた。社会人1年目、2010年の冬、電車に乗ろうと走ったとき、意識に足がついてこなかった。新しい靴もつま先が擦れ、すぐに履けなくなった。

 医師の診断は「両下肢機能障害」。原因不明で「状況が好転することはない」と告げられ、障害者手帳を交付された。「そんなに重いのか」と驚いた。このときは、まだ補助なしで歩けた。前向きな性格で現実主義者。すぐに気持ちを切り替え「できないことより、できることを考えた」。不自由になった足も受け入れ、落ち込むことはなかった。アーチェリーも続けた。

 11年の秋、知人からパラの大会参加を打診される。「趣味程度の自分が出場するのは…」とためらった。悩んだ末に出場したところ結果は2位。その後も国内大会は常に3位以内。全国身体障害者アーチェリー選手権は3連覇中だ。

 すべてが順調だったわけではない。15年3月の結婚直後、5月に父・博和さんが急逝。最後の言葉がかけられず後悔が残った。11月に長男が誕生。それでも気持ちは晴れず、競技にも集中できない日々が続いた。

 転機は16年の元旦。父と作った自宅ガレージの練習場で、ひとり考えた。浮かんだのは「半年間、リオパラリンピックへ向け努力しよう」との決意だった。その後は短期間でフォームを修正し、用具のセッティングも変えた。6月の世界最終選考会で3位に滑り込み、なんとか出場権をつかんだ。

 迎えた9月の大会本番。決勝トーナメントの会場では、矢を1本放つ度に突き上げるような大歓声が響いた。初めて経験する雰囲気にのまれ、普段は対応できる「力むと右へ外す悪い癖」が修正できなかった。対戦相手は優勝。自分の7位と金メダルの差は、大舞台で自分を制し実力を出し切れるか否かだった。

 「東京大会では自分の力で会場を満員にしたい」と力を込める。そして、大歓声を味方につけ、金メダルに再挑戦する。(写真報道局 川口良介)

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【プロフィル】上山友裕

 うえやま・ともひろ 1987年8月28日生まれ。30歳。大阪府東大阪市出身。同志社香里高校、同志社大卒。2児の父で子供と遊ぶことが休日の楽しみ。野球は近鉄、オリックスファン。今年の目標はオリックス戦の始球式を務めること。三菱電機(本社・東京都千代田区)所属。