パラスポーツ 陸上・高桑早生 初志を貫き堂々と

写 2020
練習グラウンドは母校の慶応大。「それぞれの足は違う動きをするのでバランス感覚を大事にしています」=横浜市港北区

 2008年、高校1年の秋。大分国体と同時開催された全国障害者スポーツ大会のスタートラインに立った。左足には出場が決まり急いで作った真新しい競技用義足が光る。陸上を始めて間もない大舞台で、50メートルを1番で駆け抜けた。

 「スタジアム中の視線が集まって気持ちよかった。何より同じ目標を持つ陸上の仲間ができたことがうれしかった」。その達成感と爽快感は、自ら「黒歴史」と表現する、闘病と孤立感に苦しんだ中学時代には味わえないものだった。

 小学6年の冬、足首に鈍痛を感じた。4度の検査の末に判明した病名は骨のがん「骨肉腫」。放置すれば命に関わる。中学1年の6月、手術で左足の膝から下を切断した。

 2学期になって登校したが、慣れない義足生活に戸惑った。「(仲間と)一緒に外に出ようと思っても、私が靴を履き終わると、みんなもうはるか先。できないことばかりでへこみました」。スポーツが得意だったのに体育の授業を憧れの目で見ている自分がいた。

 しかし、この頃、陸上への思いを胸に秘めるようになる出来事があった。膝下切断の障害を持つパラアスリート、谷真海(旧姓・佐藤)さんの自伝「ラッキーガール」。義足で躍動する写真やポジティブな生き方に衝撃を受けた。義肢装具士の男性に誘われ、東京のスポーツクラブで競技用の義足で走る人も見学した。格好良かった。

 「足には自信がある。高校に入ったら陸上をやろう!」。いつしか、その気持ちが苦しい学校生活の励みになっていた。

 初志貫徹。

 中学2年の3学期、通知表に担任の新井由美子先生が書いてくれた言葉。先生には「スポーツを頑張りたい」と相談していた。その志を忘れないようにとのメッセージ。「卒業でもないのに熱い先生ですよね。大事にしている言葉です」

 高校に入学すると迷わず陸上部の門をたたいた。初めて競技用の義足をつけると自由に動ける感覚があった。仲間も快く受け入れてくれた。「3年の大会で一緒にリレーを走れてうれしかった」と振り返る。

 高校から本格的に始めた陸上で、すぐに頭角を現した。20歳で出場したロンドンパラリンピックでは、片足切断などの障害があるクラス(T44)の100メートル、200メートルでいずれも7位。2016年リオパラリンピックは、それぞれ8位と7位だったが、100メートル予選で13秒43のアジア新記録。走り幅跳びでは5位に入った。

 「私の『初志』はパラリンピック。2020年の東京ではもう一つ飛び抜けた存在になって、ホスト国の選手として堂々と迎えたい」(写真報道局 松本健吾)

                   ◇

 【プロフィル】高桑早生

 たかくわ・さき 1992年5月26日生まれ。25歳。埼玉県深谷市出身。東京成徳大深谷高校、慶応大卒。趣味はミュージカル、ビジュアル系バンドの鑑賞。エイベックス(本社・東京都港区)所属。