前田久吉 メディアの革命児 前田久吉 メディアの革命児
 産経新聞の源流は『南大阪新聞』という週刊の地域紙にある。創刊は100年前。創業者は前田久吉という人物だ。前田は産経を全国紙に育て上げるが、途中で経営から退いた経緯もあって、産経新聞 源流100年十分に知られているとは言い難い。「源流100年」にあたり、人物と背景の時代を探ってみたい。産経新聞 源流100年

前田久吉の経歴

筆者の紹介

松尾理也さん

 松尾理也(まつお・みちや)大阪芸術大学短期大学部メディア・芸術学科教授、学科長。京都大学大学院博士課程修了、博士(教育学)。専門はメディア史。産経新聞記者としてニューヨーク特派員などを歴任。著書に『大阪時事新報の研究』(創元社)、『ルート66をゆく』(新潮新書)など。

前田久吉の経歴

メディアの革命児 プロローグ

メディアの革命児 第1部

世界・日本の動き 前田久吉の歩み
祝日に小学校で歌う唱歌に「君が代」制定 1893 4月22日、南大阪・天下茶屋の農家に生まれる
義和団事件 1900 天王寺師範学校附属小学校入学
日露戦争開戦 1904 同校卒業。漬物桶製造店に奉公に出る
第一次世界大戦勃発 1914 祖父母が営む有川新聞舗の経営を継ぐ
加藤高明を総裁として憲政会が結成 1916 野扖テルと結婚
ソビエト連邦成立 1922 南大阪新聞本格創刊
日本が国際連盟脱退 1933 日本工業新聞創刊
天皇機関説事件 1935 時事新報の専務就任/母、シゲノが68歳で死去
ミッドウェー海戦 1942 大阪で「産業経済新聞」発行/父、音吉が85歳で死去
昭和天皇人間宣言/日本国憲法公布 1946 戦争責任を問われ、4年間公職追放
帝銀事件/東京裁判判決 1948 東亜電気通信高等学校開校
朝鮮戦争勃発 1950 公職追放解除/大阪不動銀行設立/妻、テルが59歳で死去
nhkが日本初のテレビ本放送 1953 参議院議員選挙に当選/杉原ヒサと結婚
国民健康保険法制定 1958 題字を「産経新聞」に統一/東京タワー完工式/大阪放送(現・ラジオ大阪)/関西テレビ放送開局
キューバ危機 1962 マザー牧場創設
チェルノブイリ原発事故 1986 93歳で死去

メディアの革命児

会員限定記事会員サービス詳細