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【勇者の物語~「虎番疾風録」番外編~田所龍一】(223)強い要望指令を変更「判例」残したくなかった

「指令」を「強い要望」に変えた金子コミッショナー(手前。奥は工藤パ会長)
「指令」を「強い要望」に変えた金子コミッショナー(手前。奥は工藤パ会長)

 実行委員会での決定事項は「コミッショナー指令」として発表された。

 当時の野球協約には『コミッショナーが下す指令、裁定、採決ならびに制裁は最終決定であって、この組織に属するすべての団体と個人を拘束する』とある。

 「江川騒動」は一気に決着-と誰もが思った。ところが、この4日後の12月26日、セ、パ両リーグ会長との三者会談のあと金子コミッショナーは「指令」を「強い要望」へ変更したのである。

 「要望」には拘束力はない。言い換えれば、江川を巨人へトレードするかしないかは阪神次第-ということ。またしてもの〝変心〟に連盟担当の記者たちは金子に詰め寄った。

 --22日の実行委員会で「指令」したのではないのか

 「指令ではない。強い要望だ。指令だったら実行委員会を開かず、指令書1枚で済むことだ」

 --委員会では「指令として受け取ってもらってもいい」と発言したのでは

 「たしかにその言葉は使った。だが、今度の問題を解決するために、ボクの〝強い意志〟を知ってもらいたかったために使った言葉で、指令ではない」

 この〝強い要望〟は一時、世間で大いに流行した。それにしても、なぜコミッショナーは「裁定」を一夜で覆し、「指令」を「要望」に変えたのか。

 金子鋭は明治33年生まれの銀行家。当時78歳。安田銀行時代は〝硬骨のバンカー〟の異名を取り、昭和44年の「黒い霧事件」の際はコミッショナー委員会の一人として活躍。51年にコミッショナーに就任した。そんな金子が当時60歳の若造、正力亨のリーグ脱退、新リーグ結成-の脅しに屈するわけがなかった。では、なにゆえの変心だったのか。

 金子コミッショナーの中で、却下の裁定と巨人へのトレードは別物ではなく〝一つの答え〟だった。ただ、それを一日ごとに発表したために変心ととられ、別の力が働いた…という疑惑を生んだ。そして指令を強い要望に変えたのは、指令では〝判例〟として残り、将来、また同じような騒動が起こる-と判断したから。これが疑問への答えだった。

 強い要望への変更はさらなる〝騒動〟を招いた。阪神に不信感を持った江川が「巨人へ必ずトレードする」という〝念書〟を求めたのである。 (敬称略)

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