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【勇者の物語~「虎番疾風録」番外編~田所龍一】(195)広岡野球 練習あるのみ 徹底した実力主義

球団史上初のリーグ制覇を果たし、胴上げされるヤクルト・広岡監督=10月4日、神宮球場
球団史上初のリーグ制覇を果たし、胴上げされるヤクルト・広岡監督=10月4日、神宮球場

 昭和53年シーズン、セ・リーグを制覇したのは、監督就任3年目の広岡達朗率いるヤクルトである。巨人との首位争いを勝ち抜き、10月4日の中日戦(神宮)に勝利。25年に「国鉄スワローズ」としてチームを結成して以来、29年目で初のリーグ優勝を決めた。その日の先発オーダーは-

①ヒルトン(二)②船田(三)③若松(中)④大杉(一)⑤マニエル(右)⑥杉浦(左)⑦大矢(捕)⑧水谷(遊)⑨松岡(投)

 投手陣では松岡の16勝を筆頭に安田、鈴木、井原の4人が10勝以上を挙げた。

 「広岡野球」とは-。当時、広岡と親交があり、後にコミッショナー事務局へ入った大先輩の田村信三郎記者はこう表現した。

 「ひと言でいえばセオリーに忠実な野球。コツコツと白星を重ねていくオーソドックスな野球だ。選手に不可能なプレーを強制しない。ただし、出来ることは徹底的にやらせ、妥協はしない」

 練習でやれぬことが試合で出来るはずがない-という信念から練習に明け暮れた。徹底した〝実力主義〟。大砲マニエルを「守れない、打つだけ-なら君を使わない」と開幕前に2軍に落とした。2軍で調整していたマニエルは焦った。なかなか1軍に上げてもらえないからだ。ある日、2軍のコーチに「なぜ、ボスはオレにチャンスをくれないんだ?」と聞いた。コーチはこう言い聞かせたという。

 「ウチのボスの考え方は〝練習でできないことがゲームになってできるわけがない〟ということ。アメリカでは試合に出ながら調整するというが、日本では練習で、できるというところを示さないと試合には使ってもらえない。特にウチのボスはそういう〝信念〟の強い人だ」

 これが広岡野球の原点である。

 かつてサンケイスポーツの評論家を務めていた広岡は優勝を決めた日に〝手記〟を寄せた。

 『どうすれば勝てるか。私のチーム作りはそこから出発した。選手に理屈はいらない。行動あるのみ。体が覚えるまで練習する。なぜ、こんなに練習するのか。それはいずれ分かる時が来る。選手にとって過酷な毎日だったと思う。私にとっても、どちらが根負けするか-を賭けた勝負の毎日だった』

 信念の人-それが広岡である。                 (敬称略)

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