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五輪機運に水を差す トップのゴタゴタ 鹿間孝一

 1964年の東京五輪を思い出す。

 「世界中の秋晴れを全部東京に持ってきてしまったような」と北出清五郎アナが名調子で語った青空に、航空自衛隊のブルーインパルスが5色の煙で五輪マークを描いた。開会式は近年の派手な演出のショーではなく、厳粛な式典だった。赤いブレザーに白のズボン、スカートという日の丸カラーの日本選手団の入場行進と、聖火の点火が印象に残る。モノクロのテレビで見ていたのに、なぜか記憶には鮮やかな色がついている。

 中学生だった筆者は連日、テレビにくぎ付けだった。日本選手の活躍に興奮し、表彰式での君が代・日の丸に胸が熱くなった。「健康なナショナリズム」が沸き上がるのを感じた。

 閉会式は選手たちが列を崩して入り乱れ、日本の旗手を肩車してお祭り騒ぎを繰り広げた。今でも「史上最高のオリンピックだった」と評価が高い。

 戦後の復興途上で「オリンピックどころじゃない」という声もあったが、東京は国際都市の装いを整え、開幕に間に合った東海道新幹線や高速道路は、高度経済成長の基盤になった。終わってみれば、日本人の誰もが「オリンピックをやってよかった」と思った。

 この欄で、東京五輪・パラリンピックを必ず開催しようと書いたのは、あの感動をもう一度味わいたかったからだ。まさか組織委員会のトップが冷水を浴びせるとは思いもしなかった。

 女性蔑視ととられる発言で森喜朗氏が会長を辞任したのは当然として、後任選びのゴタゴタはいただけない。コロナ禍は収束への光が見えず、開催機運を盛り上げるのは容易ではない。

 明るい話題もある。2年前に白血病と診断された競泳の池江璃花子(りかこ)選手の復活である。

 体重が10キロ以上も減ったという苦しい闘病生活に耐え、今月7日のジャパンオープンの50メートル自由形で、自身が持つ日本記録にわずかに及ばない24秒91で2位に入った。4月に代表選考会を兼ねた日本選手権があり、一度はあきらめた東京五輪出場も夢でない。

 「オリンピックで重要なことは、勝つことではなく、参加することである。人生で大切なことは、成功することではなく、努力することである」

 近代オリンピックを創始したクーベルタンの理念を池江選手が体現している。そしてオリンピックは誰のものかを思い出させてくれる。

しかま・こういち 昭和26年生まれ。社会部遊軍記者が長く、社会部長、編集長、日本工業新聞社専務などを歴任。特別記者兼論説委員として8年7カ月にわたって大阪本社発行夕刊1面コラム「湊町365」(産経ニュースは「浪速風」で掲載)を執筆した。

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