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殿堂レリーフ「捕手かぶり」の矜持 野村克也さん一周忌

 戦前に巨人で活躍した名捕手、吉原正喜氏も捕手かぶりで、西武、ダイエー(現ソフトバンク)など4球団に在籍して優勝請負人と呼ばれた工藤公康氏は帽子なしという例はある。だが、野村さんの「マークなし」は名将としての階段を上がる前の殿堂入りだけに異彩を放つ。同博物館によると、球団マークのない状態が本人の意向かどうかは不明という。

 殿堂入りが決まった際、野村さんはサンケイスポーツ紙にコメントを残している。「名もないテスト生で南海に入団した私の名が、永遠に野球博物館(当時の名称)に記されるなんて、これ以上ない光栄です」。そして続けた言葉に、レリーフのこだわりがにじみ出ているようだ。「プロ野球にあこがれ、1年でも長くプレーしようと『生涯一捕手』をモットーにプレーした」。チームの枠にとらわれず、捕手として、そして「ひまわり」だった長嶋氏に対する「月見草」として生き抜いたプロ野球人生への矜持(きょうじ)が感じられる。

南海の本拠地でも顕彰

 実は、コメントにはまだ続きがある。昭和62年限りで引退した巨人の江川卓氏、翌63年に現役を退いた阪神の掛布雅之氏に対して「余力を残しながら、さっさとユニホームを脱いでしまう。将来のプロ野球は大丈夫なのだろうか」と苦言を呈している。喜びのコメントにも、ぼやきが入る。すでに野村さんは球界のご意見番だった。

 殿堂入りのセレモニーは平成元年7月25日、オールスター戦が開催された神宮球場で行われた。その後に指揮を執り、黄金時代へと導くヤクルトの本拠地だったのも何かの縁だろう。

 野村さんが殿堂入りに値するプレーを披露した南海の本拠地、大阪球場の跡地は現在、複合商業施設「なんばパークス」(大阪市浪速区)となっている。その9階にある「南海ホークスメモリアルギャラリー」に現役時代の遺品などを展示するプロジェクト「おかえり!ノムさん 大阪球場に。」のクラウドファンディングには、昭和52年の監督解任後も「名選手・野村」を愛し続けた2388人から4354万1500円の支援金が寄せられた。ギャラリーのリニューアル記念セレモニーは2月14日に行われる。

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